他人からディスられると傷つく
と、思っていたのだけど
必ずしもそうでもない場合もあるなと、気づきがあったので投稿します。
私の場合、
例えば居住地や出身校や経済力をディスられるとザワザワするし、
(私の中に不要な概念があるのだろうな)
年齢や肉体的なコンプレックスを指摘されると傷つく傾向にあります。
私自身や私の属性、私が良いと思っている信念などを否定されたら
受け入れられていない
認められていない
私には価値がないと思われているんだ
と、いとも簡単に傷ついてしまう。
ところが、
もしも私の大好きなミスチルの桜井さんについて
「桜井さんは声がダメだな」とか、
「ミスチルはイケテない」とか、
例えば誰かがそう言ったとして
私が傷つくのかというと、、、、
全く傷つかない!
「ふ~ん、そうなん? じゃ、聴かなかったらいいやん?」
って、フツーに思うし
だからって、
桜井さんのことを好きな<自分に>価値がないとか、全然思わない。
「ミスチルというのは日本を代表する素晴らしいバンドで、これこれこんな実績をたたき出してウンヌンカンヌン」
ミスチルの良さを分かっていない相手にわざわざその良さを認めさせようとも思わない。
「いけてない」って言われても、
腹もたたない。
そう言われたからって、私がミスチルのファンをやめることはないし、
「あぁ、この人にはミスチルの良さがわからないんだなぁ」って思うだけで、
その後の私の在り方になんらの影響も与えない。
桜井さん、大好き私にとってはサイコーの存在
同じ時代に生きられて良かったまた、早くライブにいきたいなぁ
で?
よ?
対して、自分のこととなるとどうでしょう?
桜井さんのことを好きな自分をもしけなされても
「放っておいてください 心配してもらわなくても大丈夫です。私はめっちゃ好きなんです」
と、平然と言えるのに
私の考え方に共感してもらえない時とか、何かのすれ違いで誤解された時とか、
私自身について否定された場合
わかって欲しい
認めて欲しい
すごい人だと思ってほしい
いい人だと評価して欲しい
と、自分の価値を他人のジャッジや評価に委ねてしまうことが多いなぁと。
その在り方はしんどいし、気が付いたからには手放したい。
今後は
私自身についても、
他人にどう思われようとも
私の価値には何らの影響もない
他人にどう思われようとも
私が桜井さんの素敵なところを知っていればそれでいいって思うように、
私の良さは私が知って、私が満足していれば、それでいい。
他人がなんて言おうとも
私が桜井さんを大好きって想うように、
私は私の味方でありたい