NICUを退院し、おまめが家に帰ってきてから1年を迎えた。
もうお誕生日は過ぎているけどようやく1歳になったような気がする。
夜中に30分おきに起きて泣かれる日が4ヶ月くらい続いたり
抱っこしないと泣き叫ぶからひたすら抱っこしていたり
オムツ替え(大)の途中で暴れてえらいことになったり
最近は私を含めおまめが通り過ぎたところがヨダレでベタベタで
1年間、振り回され続けて大変なことはたくさんあってしかも現在進行形なんだけど
煩わしいと思ったことは一度もない。
ただただひたすら愛おしい。
以前にも書いたことがあるけど
おまめは本来なら生きることができなかった子なんじゃないかと思っている。
お姉ちゃんが早産だったため
たまたまハイリスク妊婦に認定されていて注意深く診てもらっていて
たまたま近くに高度な医療設備のある病院があって受診することができて
たまたま早期に流れそうになっていることが発見されて
たまたま良い産婦人科の先生が主治医で
その後の何度も襲ってくるトラブルにも適切に対処してくれて
早く生まれることに備えての成長促進の準備もできて
たまたま生まれた日にNICUに空きがあって
たまたま生まれた時に良い小児科の先生がいて主治医になってくれて
生まれた後も細心の注意を払って丁寧に診てもらえて
たまたまおまめの生命力が強かった。
もし上の子が順調でハイリスク妊婦に認定されていなければ
気付いたときは手遅れだったかもしれないし
もし担当の医師が違って治療方針が異なれば
30週までもたなかったかもしれないし
もし私が実家のあたりに住んでいたら
助けてくれる病院は無かった。
数々の幸運なたまたまが重なって
おまめは今日も元気に生きている。
私は人生で2回、占い師に見てもらったことがある。
1回目は子宮に何かトラブルが起きるから気をつけなさいといわれ
2度目は子供はできるけど1人しかできないからその子を大事にしなさいと言われた。
そのときは何か引っかかるな程度だったけど
今となっては本当はそういう運命だったんじゃないかと思ってゾッとする。
幸運にもおまめは生きている。
しかも健康に。
この子が生まれてこれたことには何か意味があるんじゃないかとも考えたけど
そんな特別な意味を背負わせたくもないなと思い
考えるのをやめた。
泣いて笑って当たり前に自分の人生を生きて欲しい。
縁あって親子になれて
近くで成長を見守れるこの幸運を
かみしめている。
ワゴンを手押し車にあんよの練習中。
そろそろ歩けるようになるのかな?
