今年1月17日、SF作家の巨匠・平井和正先生が亡くなった。
堂上は先日、スマホを見ているときに、その報に接した。
「巨椋修氏と一緒に、先生にご挨拶に行こうと約束していたのに、機を逸してしまった…」

そもそも、平井先生なくして、現在の堂上はない。
福岡大学4年生のころ、当時大ヒットしていた「幻魔大戦」シリーズの
徳間書店バージョンである「真・幻魔大戦」の第6巻の巻末に、
堂上の稚拙な論文が掲載されたのだ。

これは同社の「SFアドベンチャー」誌が募集した「真・幻魔大戦」に関する論文コンテストの選考の結果、5000通あまりの応募作の中から、わずか10篇あまりの論文が選ばれ、そのなかに幸運にも堂上の作も入ったというものである。

本書に収録されるとの第一報は、当時住んでいた南片江のアパートの共同電話に、当時の徳間書店のご担当者Yさんから電話がかかってきて、知らされたものだった。
「堂上さんが応募された論文ですが、平井先生が『ぜひにこれを選内に入れてください』とのことで、まもなく発売される文庫『真・幻魔大戦』の第6巻に掲載させていただきます」
 電話でYさんと話すうちに、他の優秀な論文を書いた方々とは違い、「あなたの論文は、それらとまったく違った視点から分析されており、平井先生も『この人、面白い!!』と、大いに楽しまれたそうなので佳作となりました」とのことだった。

「真・幻魔大戦」の第6巻が発売されたあと、ちょうど学生生活を終え、アパートを引き払う日に、徳間書店から現金書留が届いた。ぼたん雪が降るたいへん寒い日であった。

封筒を開けると、2万5000円の現金が入っていた。これこそが、堂上が初めて得た原稿料だ。原稿用紙400字づめ14枚に対するギャラだった。

その後、堂上は上京、小学館の資本が入ったある編集プロダクションの入社試験を受けた。その際、採用選考資料として、この「真・幻魔大戦」の第6巻(上記画像はその当時の表紙)を提出。見事400倍の倍率を潜り抜け、新卒としてこの出版業界に入ることができた。
本当に偉大な力を発揮してくれたのだ。

ご威光は、その後もさまざまな形で堂上に幸運をもたらしてくれた。
1990年代、笹塚に住んでいる頃、商店街で畏友・巨椋修と出会って、居酒屋で飲んだ時に意気投合したのもご威光のお陰。「真・幻魔大戦」の第6巻に、堂上の文章が載っているということから、同じく平井ファンだった巨椋氏と話があったのだ。

そして、その巨椋氏から、私は生涯の伴侶である、素晴らしい妻を紹介していただいた。
ある時には夜中にトイレで失神しているところを気づいてくれ、救急車を呼んでくれたのも、この巨椋氏が紹介してくれた賢妻であり、それにより、“命の恩人”という新たな肩書きも加わったわが妻である。

話を戻して、巨椋氏とは一緒に、「いずれ平井先生に会いに行こうな」と話し合っていたのが、果たせなくなった無念さがまず心に浮かんだ。
と共に、過去の出来事を病床にて振り返ってみたとき、いまこうして書き物をして暮らしていけるのも、すべて平井先生があのとき「この人、面白い!!」と拾い上げてくださったお陰であることを再確認したのである。

いずれあの世で平井先生に御礼の挨拶をするためにも、もっと「面白い!!」仕事をしなければ、と思う。
平井先生、ありがとうございました。

※なお、巨椋氏の平井先生に対する思い等は、こちらのブログでご覧になれます。
http://d.hatena.ne.jp/ogura-osamu/