入鹿神社とは、
 
明治時代に、皇国史観に基づいて逆臣である蘇我入鹿を神として祀るのは都合が悪いとして、祭神をスサノオに、社名を地名からとった「小綱神社」に改めるように政府から言われたが、地元住民はそれを拒んだという。
日本書紀に基づいた「蘇我氏逆臣説」が日本史に通説となっている今に至るまで、地元の人々から崇敬を集めている。  by wiki
 
この手の話がぐっとくるのは私だけだろうか。
入鹿を祀るのは、かなり勇気がいったのではないか。
でもこういった地域伝承に、真実が隠されていると私は信じたいのだ。
 
前回述べた蘇我入鹿を討ったクーデーター(後の大化の改新につながる)は無かった説は、
このような説もある、というふうに番組内では紹介されており、従来の説をくつがえすようなものでない。
 
番組内では、
聖徳太子は、自分の子孫が滅亡しているが、自分が理想とした律令国家は100年後に実現している。
悲劇の先駆者である。
と結論づけていた。
 
 
 
 
そして、同日に放送していた、TBS世界遺産「法隆寺の謎」より
 

聖徳太子の本当の顔?

長らく封印され、明治時代にフェノロサと岡倉天心により発見された秘仏・救世観音像。
聖徳太子の「写し身」として造られたという仏像にまつわるエピソードから、太子の人物像に迫る。

門の真ん中に、なぜ柱?

法隆寺の伽藍に入る門の真ん中に、なぜか柱がある。
建築史的な謎とされてきたが、五重塔と金堂の配置を歴史的に見てみると、そこに謎を解くカギがあった。

不思議なお供えもの

1400年間、太子の教えを伝え続けてきた法隆寺。数々の伝統行事と、それを受け継いできた人々がいる。
毎年、太子の命日に行われる「お会式」をとおして、現代に生きる太子信仰を考える。
1400年前に建てられたままの姿で、今も残る奈良・斑鳩町の法隆寺。現存する世界最古の木造建築物だ。
飛鳥時代に聖徳太子が創建した寺は、大陸文化を取り入れながら、日本独自の文化の発祥ともなった。「仏教美術の殿堂」といわれ、国宝の数も38件と日本で最も多い。
その一方、法隆寺は謎の多い寺としても知られる。明治時代に発見された秘仏から聖徳太子の人物像に迫るほか、門の真ん中にある柱の謎などを解き明かしていく。
 
 
中門は、梅原猛著「隠された十字架」で有名ですね。
この番組内で紹介された説は新しくて面白かった。
 
続く