法隆寺の「夢殿」を中心とする東院伽藍は、太子の営んだ斑鳩宮の旧地に建てられている。 by wiki
 
 
ふと思いついたのだけど、夢殿が建ってるから、掘り返せないんじゃないか・・・
もっとこの辺りはいろいろでてきても良さそうなのに・・・例えば「十七条の憲法」の原本とか^^
世界遺産と国宝の宝庫が建っちゃってる真下に、
更なる重要文化財が眠ってるなんてこと・・・ありそうなんですけど(^_^;)
 
奈良県の飛鳥地方は、掘り返せば必ず何か出てくる(^_-)
 
私も新聞の切り抜きを大事にしてるけど、
2007年に蘇我氏邸宅ではないか、とされる跡が甘樫丘で見つかった、と発表された。
この屋敷跡が、日本書紀に書かれている「大王の宮を超えるような豪邸」では無く、武器を保管していた倉庫跡
のようなものもある、小さな屋敷であったことが発掘調査で分かったのだ。
 
反動クーデター説 [編集]
2005年から始まった発掘の結果、飛鳥甘樫丘で蘇我入鹿の邸宅が、「谷の宮門(たにのみかど)」の谷の宮門で兵舎と武器庫の存在が確認された。
また蘇我蝦夷の邸宅の位置や蘇我氏が建立した飛鳥寺の位置から、蘇我氏は飛鳥板蓋宮の周り砦を置き外敵から都を守ろうとしたのではないかという説が出されている。
当時618年に成立した朝鮮半島に影響力を及ぼし、倭国も唐の脅威にさらされているという危機感を蘇我氏は持っていた。そのため従来の百済一辺倒の外交を改め各国と協調外交を考えていた。
それに対し、従来の「百済重視」の外交路線をとる中臣鎌足や中大兄皇子ら保守派が「開明派」の蘇我氏を倒したと言うものである。
蘇我氏打倒後、保守派は百済重視外交を推し進め、白村江の戦いでそれが破綻する。
いわゆる「大化の改新」はその後に行われたと考えられる。 by wiki
 
 
蘇我氏は古代史屈指の悪役に仕立て上げられているが、
中大兄皇子(天智天皇)中巨鎌足(藤原氏の祖)に権力闘争で負けただけかもしれないのだ!
 
番組内では、蘇我入鹿を祀る入鹿神社や
蘇我氏の子孫(びっくりした!いらっしゃるのですね)を紹介したりしていた。
 
上の反クーデター説を私は面白いと思うのだが、この説を更に裏付けるような史跡も出てくると期待している。
 
 
続く