こんにちはおねがい今日も由希絵の『歴史の窓』へようこそ!

今日は今までの女性の愛とは少しテイストが違いますが、源義経と弁慶との”主従愛”について語りたいと思いますおねがい

 

源義経は源平合戦で大活躍して、ついに平氏滅亡まで追い込んだ源頼朝の異母弟というのは超有名ですよね!

 

彼らの父親、源義朝を倒した平氏を倒すため、頼朝と義経は二人力を合わせて、ついに1185年に壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼし、源氏の宿願を果たしました爆  笑

 

ところが、平氏を倒す戦いで先頭に立って戦い、次第に源氏のヒーローともてはやされるようになった義経のことを頼朝は苦々しい思いでみるようになっていきました。

「自分が源氏の棟梁なのに、義経ばかりもてはやされて・・・許せんムキー

 

そんな頼朝や頼朝周辺の思いを利用して、これ以上源氏の力を強くしないようにしたかった後白河法皇(前にご紹介した待賢門院璋子の息子です)の策略で、二人の間には次第にすきま風がふくようになり、特に頼朝の義経への不信感が高まっていきましたショボーン

 

なにせ、この後白河法皇は「日本一の大天狗」と呼ばれるほど、ものすごい策士で、自分の利になるよう平家や源氏を利用しまくり、世の中を翻弄しまくっていたのですガーン

 

壇ノ浦から京まで戻ってきた義経に高い官位を与えたり、もてはやしたりして、義経は有頂天になっていました。

義経はただただ兄の為と思って行動していましたが、法皇の策略にまんまとのせられてしまったのですガーンガーン義経は軍事の天才でしたが、政治的嗅覚に欠けていたのですショボーン

 

頼朝やその周辺の御家人たちは、頼朝の許可を得ないまま高い位をもらったり過度な接待を受けた義経の勝手な振るまいについに激怒炎その後二人の不仲は決定的となり、ついに頼朝は弟の義経を朝敵とし(頼朝の脅しに後白河法皇も屈せられたのです・・・)京から逃げるしかなくなりました。

 

逃げるのは一番の家臣弁慶や愛する白拍子静御前、そしてわずかな家臣達のみで、失意の義経は昔お世話になった藤原秀衡がいる奥州藤原氏の居城、平泉へ向かっていったのです。

 

すっかり全国のお尋ねものになってしまった義経たち一向は弁慶や家臣達の奮闘もあり、なんとか安宅の関までたどりつきました。

 

そこで義経一行に最大の危機がやってきたのです・・・!!

 

今日も記事をお読みいただき、ありがとうございましたハート

また次回、お逢いしましょうおねがい