こんにちはご無沙汰していて申し訳ありません
実は今週一週間は超絶体調不良になってしまい、寝込んでおりました・・・
今日からようやく立ち上がることができるようになったので、ブログを書けるようになりました。
気温の差がはげしすぎて免疫が落ちてしまっていたようです。皆様もくれぐれも体調にお気をつけて過ごしてくださいね
その間にもアクセス数は毎日チェックしていたのですが、最近は以前と比べると格段に増えてきてとっても励みになりますそんなにブログの更新が頻繁ではないのにもかかわらず、継続的に訪れていただき、深く御礼申し上げます。近い将来、Youtubeも作成したいと考えております。その際には、どうぞよろしくお願い申し上げます。
今日は、そんなに知名度は高くないのですが、あの平清盛を怒らせた(でも本人が悪いわけではないのですが・・・)ことで有名な『小督の局』を取り上げたいと思います。
前回の待賢門院の記事でも触れましたが、保元の乱の後平治の乱の勝利により、朝廷の後押しをえて最高権力者にのぼりつめたのが、平清盛でした。清盛は武士の子でありながら、白河法皇のご落胤とも噂されており、血縁的にもそれほど問題にはなりませんでした。
清盛は権力を盤石なものにするために、娘の徳子を高倉天皇の中宮にすることに成功し、一日も早く皇子を産んでほしいと願っていました。
その徳子に伝える女官で、笛や琴の名手であった宮廷一番の美女と言われたのが、『小督の局』でした。
小督の局は中納言藤原成範の娘で、家柄も申し分ない女性でした。
そのころ小督の局は藤原隆房と恋仲でしたが、徳子に仕えていた小督の局が高倉天皇に見初められて寵愛を受けるようになってからは隆房は小督を諦めるしかなく、(天皇には勝てず・・・・・)それでもいつまでも忘れられなかった隆房は彼女に歌を贈ったと言われています。
実はこの隆房には清盛の娘が嫁いでいて、この隆房も高倉天皇も清盛が嫁がせた娘よりも小督の局に夢中になっており、「婿2人も小督に取られるとは」と激怒しました(小督に罪はない・・・勝手な清盛の逆ギレ)
清盛の勝手な怒りが一方的に小督へ向けられていきました。
(次回に続く)
今日も記事をお読みいただき、ありがとうございましたまた次回、お会いしましょう