こんばんはおねがい今日も由希絵の『歴史の窓』へようこそ!

少しご無沙汰していて申し訳ありません。

新年度業務で残業続きだったのと、関東へ旅行へも行ったりして、ブログを書く時間が中々とれませんでしたえーんそのような中でも、徐々にですがアクセス数が増えてきていて、このブログを訪問してくださっている皆様には本当に日々感謝しております爆  笑ありがとうございますおねがい

少しでも歴史に興味を持ってもらえるようにこれからも頑張っていきたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げますニコニコ

 

今回も前回の続きで、源氏物語を書いた漫画「あさきゆめみし」を読んだ感想を思うがままに語りたいと思いますニコニコ今回で源氏物語および「あさきゆめみし」は一旦区切りをつけたいと思います。

 

今まで源氏物語について語ってきましたが、私は女性という立場からみて、光源氏の身勝手な行動や恋愛には批判的なのですが、唯一(ちょっと辛辣!?)光源氏の良いところは、一度契りを交わした女性達に対して、基本的には見捨てないで、きちんと最後まで生活の世話をしたというところかと思います。

 

だからこそ、あんなにあっちフラフラ、こっちフラフラと色々な女性達のもとに通いまくっても、どこか憎めないというか、現代的な口調で言えば「光輝くぐらいの容貌をもつあの方だから、仕方ないわ~」みたいな諦めに近い心境の女性達も多かったのではないかと推察できます。(現代であれば、もちろん許されないことでありますが・・・)

 

これには当時の一夫多妻制という制度と、男性が女性のもとに通う「通い婚」という制度だったからこそ許されたことかと思います。

男性が気に入った女性のもとに通う「通い婚」で、現代みたく夫婦が同じ家で住んでいなかったため、男性はちょこちょこいろいろな女性のもとへ通いやすかったのです。

ただ、その中でもルールはあり、本気で正式な妻としたい場合には、三日連続その女性のもとに通って契りを結び、三日目に「三日夜餅」を夫婦で食べて初めて婚儀が成立となりましたラブラブ

 

逆に言えば、正式な妻とするつもりがなければ、一夜限りで、三日間通わないことになり、それもある意味残酷なことになります・・・えーん(ひどいアセアセアセアセアセアセ

 

「あさきゆめみし」の中でも、光源氏が紫の上と初めて契りを結んだとき、この「三日夜餅」の描写が描かれています。この時紫の上は、良いお兄さんと思っていた人に強引に契りを結ばされて、裏切られたと思い、たいそう悲しんでいたのですが・・・タラーただ光源氏はきちんと餅を用意していたことから、紫の上には本気で自分の正式な妻としたかったのは間違いありませんでした。

その後紫の上は、女三の宮の降嫁までは、世間一般にも「光源氏の正式な妻」として、正妻と同じ格として認められていたのですおねがい

 

この「通い婚」という制度ですが、女性は基本的に天皇の妃以外は自分の実家で暮らします。男性は婿として通うため、もし二人の間に子供が生まれたら、女性の実家で育てられます。天皇の妃は宮中で過ごしますが、出産時になると実家に宿下がりに行きますし、天皇の子供を産んだら、その子供達は女性の実家で過ごすことも多くなります。女性の父母、子供からしたら、おじいさんとおばあさんと過ごす時間が多くなり、かわいがってもらいますから、どうしても女性の実家の影響力が大きくなってしまうのです。

 

「あさきゆめみし」の中でも、光源氏は自分と明石の君との娘で紫の上に育てさせた明石の姫君を帝に入内させたり、六条御息所から行く末を頼まれた彼女の娘の秋好中宮を自分と藤壺の宮との間の不義の子である冷泉帝に入内させたりして、権力を盤石なものにしています。

 

当時の貴族たちもこぞって、光源氏と同じように、自分の娘を帝に入内させ、息子が生まれたら次の天皇として、天皇の祖父として絶大な権力を得ようとやっきになっていました。(孫は母方のおじいさんの言いなりになりそうですものね・・・。)それが一番上手くいったのが、この光源氏のモデルとも言われている『藤原道長』でした。

 

道長は彰子をふくめて三人の娘を相次いで天皇の妃とし、彰子が産んだ息子を天皇として外祖父として絶大な権力を振るい、摂関政治の全盛期を築きましたキョロキョロ

この絶頂期に詠んだ和歌が、有名な「この世をば 我が世とぞ思う 望月の かけたることも なしと思えば」の和歌です。

でも権力とははかないもので、やがて道長も病には勝てず、極楽浄土に行くことを願いながら往生したと言われています。

 

紫式部はいつまで彰子に仕えていたかは不明ですが、源氏物語の完成後しばらくして宮中から去ったと言われています。自分が宮中から去ったかわりに娘を彰子に仕えさせていることから、彰子と紫式部は強い信頼関係で結ばれていたことがうかがえます。それに対して紫式部と道長との関係はどうだったのか?最初は協力のパトロンとして頼りにしていたが、道長が絶大な権力をもつにつれて、紫式部は次第に道長に対して批判的になったのかもしれません。

 

この『源氏物語』(あさきゆめみし)では権力のはかなさと因果応報を描いています。もしかしたら紫式部が道長への複雑な思いを反映しているとも読み取れます。

 

またこの物語に登場する人物はみんなあまり幸せには感じないのです・・・平穏に過ごせているのは、光源氏と結婚しなかった「朝顔の君」と、光源氏の寵愛を期待していないが大切にされている「花散里」、そして、光源氏の寵愛をあきらめ、紫の上の計らいで実の娘の明石の中宮のそばで仕えることができた「明石の君」ぐらいしか思いつきません・・・。みな、光源氏と少し距離を置いて、愛の執着から解放された人達が平穏な生活を送れているのも皮肉ですよね・・・ショボーン

 

でも様々な愛の形や愛の苦悩を描いた『源氏物語』(あさきゆめみし)はまちがいなく現代人にも共感できる心の要素がふんだんに盛り込まれているからこそ、1000年以上たっても人々の心をゆさぶりつづける最高傑作の作品だと言えると思いますおねがい

 

是非、この作品を読んで、平安貴族の恋愛や人のおろかさ、もののあわれを感じてみてくださいねラブ

 

今日も記事をお読みいただき、ありがとうございましたハートまた次回、お会いしましょうおねがい