こんにちはおねがい今日も由希絵の『歴史の窓』へようこそ!

今日も前回に引き続き、『藤原薬子』の物語の続きですびっくりマーク

 

安殿親王はもともと病弱で精神的にもろいところがあり、年上で美貌の薬子に頼りがいを感じ、精神的にますます薬子に依存し、彼女にとらわれていきましたびっくり

 

薬子も親王に寵愛され、宮中の華やかな生活を経験すると元の生活が平凡に感じられるようになり、出世したい薬子の兄、仲成と思惑が一致して、なんとか親王のもとに戻る機会をうかがっていたのですびっくり

 

そしてついに806年、二人を引き離した桓武天皇が亡くなり、安殿親王が平城天皇として即位すると、早速天皇は「待ってました!!」とばかりに薬子を宮中に呼び寄せ、再び後宮に戻し、しかも邪魔な薬子の夫の縄主を薬子のもとから引き離すために九州に左遷させ、薬子一人を寵愛したのですラブ(かなりひどい・・・ムキー

 

薬子の方も夫や子供よりも天皇や権力、華やかな生活の方に目が向いていたので、天皇からの寵愛とそれに伴う高位の位を与えられ、華やかな生活を享受し、「我が世の春」を迎えた状況でした照れ(夫と子供がかわいそう・・・えーん

 

しかし元々病弱だった平城天皇は病に伏して、即位したわずか3年で天皇を退位して隠居し、弟の嵯峨天皇へ譲位しましたキョロキョロこの時薬子と仲成は反対しましたが、気の弱くなっていた天皇は退位の意思を変えなかったです。

ところがその後平城上皇の病は思いのほか回復し、逆に天皇となった嵯峨天皇が病に伏すようになってしまいましたガーン

 

その状況で薬子と仲成は平城上皇をけしかけ、上皇もその気になって国政への復帰ともう一度天皇になる重祚を画策、嵯峨天皇側と対立するようになりましたムキー

 

平成上皇は政権復帰のために、天皇を無視した政令を乱発したり、奈良時代の都であった平城京へ再遷都を企てたので、その動きに危機を感じた嵯峨天皇は、あの征夷大将軍の名で有名な「坂上田村麻呂」と軍兵を迅速に送り、先に仲成を捕まえて、東国に逃げようとした平成上皇と薬子もその後、武力衝突が起こる前に捕らえましたショボーン仲成はその後処刑され、側近達や薬子は官位をすべて剥奪されます。薬子を失った平成上皇は哀しみにうちひしがれ、上皇が剃髪し出家することにより、この乱は決着しました。

 

愛する上皇とも引き離され、兄も処刑され、愛も権力もすべて失ってしまった薬子は絶望し、トリカブトの毒を仰いで自殺するという壮絶な最期を遂げましたえーん

 

このスキャンダラスな810年に起こった事件は『薬子(くすこ)の変』と呼ばれています。この『薬子の変』はその後の歴史を大きく動かすことになります。この変によって、それまで力をもっていた藤原式家が没落し、変わって藤原冬嗣の藤原北家が台頭してきます。この藤原北家の子孫がのちに絶大な権力を持ち、この世の春を謳歌する『藤原道長』が登場することになるのです!

 

しかし最近の研究では、この乱の黒幕は仲成・薬子というよりも一定の権力を持っていた平成上皇本人ではないかという考察がけっこう出てきています。

天皇家の名誉を守るため、仲成や薬子を黒幕にしたて上げたのは嵯峨天皇だと主張する考察もあります。

 

もしそれが本当であるならば、薬子はちまたで言われているほどの悪女ではなかったのかもしれませんショボーン権力や野望に燃えたとはいえ、ただひたすら平城上皇を愛し、自らの運命をまっすぐに生きて最期に散った信念の強いかつ哀れな女性だったといえるでしょうショボーン

 

(藤原薬子・完了

 

今日も記事をお読みいただき、ありがとうございましたハートまた次回、お逢いしましょうおねがい