こんにちは今日も由希絵の『歴史の窓』へようこそ
今日も前回に引き続き、『孝謙(称徳)天皇』の物語の続きです
ところが「おごれるものも久しからず」(by 平家物語)という言葉のとおり、病にふせっていた光明皇太后が崩御すると、絶対的な後見人を失った藤原仲麻呂は急速に力を失いつつありました。元々仲麻呂の傍若無人な振る舞いに対して苦々しく思っていた人達が多かったからです
仲麻呂とも心の距離ができて孤独だった孝謙上皇は唯一の肉親の母親を失ったショックで病床に伏せるようになってしまいましたそしてますます仏教にのめりこむようになっていきました
そんな時、彼女の前に現れたのが、弓削氏の僧『道鏡』でした
道鏡の献身的な看病と祈祷のおかげで、孝謙上皇の病はみるみるうちに回復し、彼女は元気を取り戻していったのです
そして身も心も元気をとりもどした孝謙上皇は、母の光明皇太后の死は哀しかった反面、母の呪縛から自由になれたことを実感したのです「母が今まで実権を握ってきて、私は母や仲麻呂の言いなりで振り回されてきた。ようやく私が思うままにふるまうことができる
」と
(複雑な親子関係・・・
いろいろな面で押さえつけられていたのかも・・・)
孝謙上皇は病から救ってくれた道鏡に絶大な信頼をおくようになり、ついには道鏡を寵愛するようになり、禁断の恋にはまっていってしまいました(上皇と僧侶の恋って・・・かなり危険な匂いが・・・
)仲麻呂に裏切られた上皇にとって、道鏡は体も心も救ってくれた救世主のように感じてしまったのかもしれません
(人間って弱っているときに助けてくれた人に気持ちが移りやすいですよね・・・)
そして孝謙上皇はとんでもない行動にでます
平城京にいた淳仁天皇とは別居して法華寺に移って出家し、しかも天皇がいるにもかかわらず、官僚を呼び出して「淳仁天皇が不孝のため私は仏門に入って別居しました。国家の大事である人事や政務は私が執ります」と宣言したのです
これは事実上、仲麻呂と淳仁天皇に対する宣戦布告のようなものでした
そしてこれは同時に自分を裏切った仲麻呂への復讐の始まりだったのです・・・(愛憎が歴史を動かした
女性をマジで怒らせると怖い・・・
)
孝謙上皇は意欲的に政務に取り組むようになり、道鏡や吉備真備などを重用し、自分の派閥の力を強め、同時に天皇や仲麻呂派の力をどんどん削いで排除していきました。そして上皇の寵愛が自分から道鏡に移ったことに嫉妬した仲麻呂(元々、仲麻呂が先に裏切ったのですが・・・)が道鏡を重用していることに異を唱えると、それに激怒した上皇が淳仁天皇と仲麻呂が持っていた国政の大事に関わる権限をすべて剥奪してしまいました
すべての権力を奪われてしまった仲麻呂はこの措置に激怒して反発し、ついに挙兵しました
これを『藤原仲麻呂の乱』といいます
しかし、軍事指揮権の象徴である鈴印を取り戻した孝謙上皇が優勢となり、朝敵となり敵も多かった仲麻呂側が敗戦を重ね、ついには孝謙上皇が勝利しました
仲麻呂は近江国に逃げましたが見つけられ、その後殺害されました
また淳仁天皇は廃位され、親王にされて、流刑されました
長年自分を苦しめてきた仲麻呂や淳仁天皇に対し、孝謙上皇の復讐が完了した形になりました
執念はこわいですね・・・
そして孝謙上皇が皇位に復帰し、称徳天皇となったのです
日本史史上、唯一の出家したままで即位した天皇でした。
「これでパートナーである道鏡と共に、自分の思うがままに政治をすることができる」
女帝が生まれて初めて母の光明皇太后や藤原仲麻呂から解放されて自由に行動できる立場になった瞬間でした
しかし道鏡への女帝の寵愛がさらなる波乱を起こしていくことになるのです
(次回に続く)
今日も記事をお読みいただき、ありがとうございましたまた次回お逢いしましょう