こんにちは今日も由希絵の『歴史の窓』へようこそ
しばらくブログ記事が書けず、申し訳ありませんでした。
今回も前回の『十市皇女』の続きについて語りたいと思います。
高市皇子は十市皇女と会い、「父の天皇には私達の仲を反対されているが、私が必ず説得してお許しをもらうから、私を信じて待っていてほしい」と彼女に伝え、そして二人はその夜も閨を共にしました。
しかし十市はこの夜の逢瀬を最後にしようと決心し、高市にはそのことは告げず、いつにもまして、二人は熱い夜を過ごしました。
翌朝高市が帰ったあと、十市は父・天武天皇のもとにおもむき、伊勢神宮の斎宮になる決心をしたことを伝えました。
「十市・・・このような決断をそなたに強いてしまい申し訳ない・・・」
「父上、もうよいのです。私の決断が父上と高市と葛野の助けになるのであれば・・・」十市は悲しそうな目で父に告げて宮廷を去りました。
その夜、母の額田王に息子の葛野王のことを託して翌朝、天武天皇が倉橋河の河上にたてられた斎宮に出向こうとする前、十市は心静かに一人で部屋で座っていました。「私がいることで愛する高市のと息子の葛野の将来にさしさわることがあってはならない。これは大友様と結婚していながら高市を愛し続けた私の罰だわ・・・。どうか私のことは忘れて幸せになってほしい・・・。」
そう心の中でつぶやくと自ら命を絶ったのです
天武天皇は十市への申し訳ない気持ちとこれから愛娘に会えなくなってしまうことから、自ら見送りにやってきていました。
中々部屋の中から出てこない十市のことを不審におもった天武天皇が部屋に入ると、そこには変わり果てて倒れている十市の姿がありました。
「十市十市俺はおまえにそこまで無理強いをしてしまっていたのか・・・」天武天皇は人目もはばからず声を出して泣き続けました(今更後悔しても遅い・・)
同時にかけつけた額田王も娘の急死に悲しみにうちひしがれ、「いまさら悔やんでも遅いですもう私達の十市は戻ってきません」と天皇に向かって悲しく叫びました
高市には斎宮行きを止めに入るのを恐れて、この日に斎宮に出立することは十市本人はもとより天皇や周りからも一切知らされていませんでした。
十市の急死を知らされた高市は悲しみにあけくれ、しばらく立ち直ることができませんでした。
その数年後高市は天皇や皇后からの強い勧めにより御名部皇女と但馬皇女の2名の妃を娶り、太政大臣まで出世しましたが、生涯十市皇女を忘れることはありませんでした。
幼い頃から両思いを引き裂かれてきた二人は高市が亡くなって天に召された後ようやく再び出会い
永遠の愛となったことでしょう
十市皇女~母の額田王と同様運命に翻弄され、愛する人と引き裂かれながらも愛に生き、悲しく散っていった悲劇の皇女高市皇子が残した十市皇女への愛を歌った情熱的な挽歌が3首も万葉集に残され、二人の愛は1300年以上たった今に語り継がれています。
(十市皇女・)
今日も記事をお読みいただき、ありがとうございましたまた次回お逢いしましょう