こんにちはおねがい今日も由希絵の『歴史の窓』へようこそ!

 

今日は前回、虞美人の話でも登場した劉邦(漢の高祖)の正妻、呂雉(りょち)について語りたいと思います。

 

沛県の有力者だった呂公は、偶然、当時貧しく、下級役人の一人にしかすぎなかった劉邦の器の大きさと度胸の良さに将来性を感じる出来事に遭遇し、娘の呂雉(りょち)を劉邦に嫁がせることを決めます。

 

しかし呂公の妻は猛反対します。なにせ、劉邦にはすでに妻子がおり、また名うての女好きで、いいかげんな男だったからです。

 

それでも呂公は妻の反対を押し切って、劉邦と呂雉を結婚させます。劉邦としてもその地域の有力者の娘を貰い、正妻にすることにより、自分が上にのしあがる為には是非とも必要となり、利になると考えたからです。というか最初から呂雉に目をつけ、彼女に近づき、父親にあえて度量の大きさを見せつけて婚姻を認められるように仕向けたとも言われています(ものすご~く策略家びっくり!!

 

呂雉も普通の男では物足りなかったのでしょう。彼女も元々かなりの野心家だったと言われていますから、劉邦の野心家のところに惹かれ、反対している母親を父親と共に説得してようやく劉邦と結婚することができました。

 

結婚後は、劉邦の舅の農業を手伝いながら、ひたすら夫の劉邦や舅に尽くし、貧しく苦労しながらも劉邦との間に産まれた一男一女を懸命に育て上げます。

劉邦は項羽との戦いに明け暮れ、家を留守にしがちな劉邦に代わって呂雉が家を取り仕切っていきます。まさに糟糠の妻!!献身的で意地と根性のある女性だったのですね!

 

そんなある日のこと、人相を見る老人が、呂雉の人相を見たところ、「あなたには天下を取る貴婦人の相がある」と言いました。

呂雉からその話を聞いた劉邦は驚き、またその噂が広まったことで、劉邦のもとにどんどん優秀な人材が集まってくるようになりました。劉邦にとって、まさに呂雉は『幸運の女神キラキラ

だったのですキラキラキラキラキラキラ

 

劉邦は一時項羽との戦に敗れ、妻の呂雉と自分の父が人質になってしまいましたが、その後形勢が逆転すると二人は無事に劉邦のもとに帰ることができました。

 

しか~し!!こんどは呂雉は夫の裏切りを知ることになりますムキー

項羽と争って呂雉や子達と離れている最中、戚夫人(せきふじん)という女性を寵愛するようになり、戦の最中でも常に彼女を側に置くようになったのですえーん

 

しかも、呂雉が項羽陣営の人質になっている時、劉邦は二人の間に生まれた劉盈(のちの恵帝)や魯元公主と一緒に逃げる途中、馬の負担を減らし馬車を軽くしようと二人を馬車から突き落として自分だけ助かろうとしたのですガーン。なんて自分勝手な男ムキー子供を見殺しにして自分だけ助かろうなんて、それでも親かって感じびっくりマークはてなマーク その後家臣の説得により二人の子供は助け出されましたが、その話を後から聞かされた呂雉は徐々に夫への不信感が高まっていったに違いありません。

 

劉邦がついに項羽を倒し、漢王朝を樹立すると劉邦は初代皇帝・高祖となり、正妻の呂雉はついに

皇后となりますニコニコあの人相占い老人の見立ては当たっていましたねびっくりマーク

 

劉邦は相変わらず戚夫人を寵愛し続けていたものの、さすがに糟糠の妻で、貧しい時から苦労させて尽くしてくれた正妻の呂雉を差し置いて皇后にすることは出来ず、(家臣にも道理に反すると反対されそうなので)呂雉はついに絶大な権力を持つことになります。

 

それに恐れをなしたのが戚夫人です。いまや皇后になり、絶大な権力を持った呂雉に、劉邦からの寵愛を受け続けている自分がとっても憎まれていることはわかっているので、自分と子供の如意が生き延びるには、如意が劉邦の後の皇帝になるしかないと考えた戚夫人はことあるごとに劉邦に如意を寵愛につけこんで皇太子にするように頼み込み、劉邦も次第に呂雉との子のおとなしい性格の劉盈よりも活発で愛嬌のある如意を皇太子にしたいと思うようになりました。

 

そこで呂雉は自分の息子劉盈を皇太子にするよう作戦を考えました。劉邦の性格をよくわかっていた

呂雉は嫉妬に狂って劉邦を責め立てたらかえって逆効果になると考え(賢いびっくりマークびっくりマーク)、表だっては何も言わず、裏で長年劉邦に仕えていた家臣達に根回しをして、大勢の長年の家臣達から「正妻の子供の嫡子を退けて庶子を皇太子にするのはいかがなものか」「(呂雉との子)劉盈になら喜んで仕えたい」など反対意見をさせて、ついに劉邦は如意の皇太子を断念し、劉盈を皇太子と定め、戚夫人のもくろみはもろくも崩れ去りましたガーン長年の家臣達は劉邦の妻呂雉にも長年世話になってきているので、当然ほぼみな呂雉の方に味方したのです。劉邦も人の意見を聞いて項羽を倒せて天下を取れたのもよくわかっているので、家臣達の反対を押し切ってまで自分の意見を通すことはできませんでした。

 

その後劉邦が死ぬと、ついに長年の怨み辛みが重なっていた呂雉(呂皇后)の復讐が始まりますガーンびっくりマーク

呂雉の息子劉盈が皇帝(恵帝)として即位すると、まず戚夫人を捕らえ、牢獄に監禁しますガーン

皇帝の寵姫から一挙に明日をも知れない命になった戚夫人は息子如意とも引き離され、絶望の日々を送ります。

それから戚夫人の息子如意を機会を狙って殺してしまいますガーン

 

そのことを呂雉は直接牢獄に監禁している戚夫人に直接会いにいき、告げてさらに絶望のどん底に突き落としますガーン

 

その後呂雉は憎くてたまらない戚夫人の声を薬を飲ませて潰し、両手足を切り落とし、目をくりぬき、耳を落として、その無残な姿の戚夫人を豚小屋を兼ねた厠に閉じ込めて、家臣に見せつけ「人豚びっくりマーク」と呼ばせて笑ったのです。最大の屈辱ですよね・・・(ものすご~く残酷ガーンガーンガーン恐ろしすぎるっえーんえーん)その後苦しみもがいた戚夫人は数日後亡くなりました。

ついに呂雉は戚夫人への復讐を果たしました・・・しかも残虐すぎるくらい残虐な方法で・・・。

それほど、戚夫人への恨みや憎しみが深かったのでしょうか・・・ムキームキームキー

 

これが有名な『人豚事件(人豚の刑)』です。

 

しかも呂雉は、排泄物にまみれ変わり果てた戚夫人の姿を、「珍しい人豚がいるよ」と言って、息子の恵帝に見せ、心優しい恵帝はあまりの母の残酷な所業に衝撃で寝込み、その後は酒浸りになって20代で夭逝してしまいましたえーん(お母さん恐ろしすぎるわアセアセアセアセアセアセ

 

その後恵帝の子を皇帝につけ、呂雉とその一族は栄華を極めましたが、彼女が病死した後はもろくもその栄華は崩れ去ってしまいました。(諸行無常ですなぁ~ショボーン

 

呂雉はこの残酷な人豚事件や家臣を粛正するなどの行いから「中国三大悪女の一人」に数えられるようになったのですが、その一方で政治家としては悪法を撤廃したり、混乱した社会や経済を回復させたりと功績もあった人でもあります。

 

そもそも、劉邦が側室ばかりを寵愛し、長年連れ添って天下人まで押し上げてくれた正妻をないがしろにするようになったのが原因で、彼が呂雉にもっと愛情を注いで大切にしてくれていたら、ここまで嫉妬に苦しみ、憎しみを募らせて鬼のような所業をするまでには至らなかったのではないかと思います。また戚夫人も自分の息子を皇太子にしようなど、分不相応なことを考えなければここまで残虐な殺され方もしなかったかもしれません。寵愛を傘に着るのではなく、呂雉を立ててあげてたらとも思います。

 

いずれにしても宮廷に入れば生きるか死ぬかのサバイバルになるから、どうしても人は残酷になってしまうのも事情としてはわからなくもないけど、それにしてもここまでやるとは・・・って感じです・・・あ~それにしても怖すぎるわ・・・ガーンびっくりマーク

 

でも呂雉がここまで戚夫人に嫉妬して憎むってことは彼女なりに劉邦を愛していたということだと思います。愛が憎しみに変り、鬼になり、そして恐怖の独裁者に変貌して権力欲にとりつかれてしまった・・・愛ってある意味恐ろしいものです・・・ショボーンそれゆえに人の心のコントロールって本当に大事なことだとつくづく思います。

 

今日も記事をお読みいただき、ありがとうございましたピンクハート

また次回お逢いしましょうおねがい