心配メール、心配メッセ、本当にありがとうございます。
ここ東北の山形も大きなダメージをうけております。


みなさん、大丈夫ですか?
被害に遭われた方、そして大切な方を失った方、本当にご冥福をお祈り申し上げます。


携帯に地震災害緊急メールが入り…
その後、数十秒で大きな地震がきました。

うちのところは、震度5弱。

怖かった。
ゆれがとまらず、震えて子供を抱きかかえ、裸足のまま外へ
外は大雪。
吹雪く中、じっと子供を抱きかかえ、おさまるのを祈るように待ちました。


その後は、何がなんだかわからない状態でした…


家の中は、雑貨が散らばり、花瓶が倒れ、散々な状態。

すぐさま、災害用避難経路を確保し、外へ逃げる準備開始!


詳しくは、時間のあるときに書きますが、
電気のない真っ暗な生活は、今でも恐怖を覚えます。

そして、家にはいれない状況に、車中泊。
唯一、カーナビのワンセグがつながっていたので、状況を把握することができました。



そして、携帯もメールもつながらない…。
かろうじてつながったメール。


そこには


『私は生きています』


の文字。


そして、返信は…


『私も無事です。生きています。』


こんなメールを送るなんて思ってもいなかった。


でも、安否を確認できホッとしたのもつかの間。

その後も、大きな余震に眠ることが出来ませんでした。


朝になり、まずは食料、水、電池等の確保へ、あらゆるお店を回りました。
どこも行列をなし、店内も真っ暗。
パンを1つ買うのも1時間待ち。
並んでも必ず変えるわけでもなく…。
救援物資をもらうような人だかり。

とにかく、我れ先にと…



そして今。

電気もつながり、いつも以上に澄んだ青空。

でも、この空の下、まだまだ被災者が救出を待っていることを思うと、とても胸が痛み、涙が出て来てしまいます。


仙台には沢山の友達がいます。
特に仙台港のあの津波で火災がおこっているところには、大事な友達がいます。
安否が気になりますが、連絡のとりようがないみたいです…

友達の友達がこの津波で亡くなったそうです。
自分の友達ではないとしても、やはり悲しみがおさえきれず、涙が流れてきました。


一日も早い復興をただただ祈るだけです。


そして、まだ連絡のとれない大切な人へ…

生きていますか?
大丈夫ですか?
私は、生きています。
無事を祈ります。
生きていてください。
会いたいです…