差別と区別
「似て非なるもの」の代表かと。
最近。
差別と区別を履き違えている場面を
よく目や耳にします。
これはわたしだけではなく
モヤモヤしている方も
心が女性の男性が
女子トイレを使うことについての反対意見を
差別だと言う人がいますが
わたしはそうは思いません。
区別だと思っています。
それらを守るために必要なのが区別です。
昨今。
少数の意見を尊重し過ぎて
本来必要なのは
お互いに尊重し合うことなんじゃないの?
・
わたしは医療機関に勤めていました。
その当時
全盲の患者さんがいました。
その方は
「ワシは目が見えないんだから早くしろ!」
と言うわけです。
要するに
順番抜かしをして
先に診察をしろと言うわけです。
出来ない旨を伝えると
「前任者は気を利かせてくれた。オマエは障害者に寄り添わないヤツだ!障害者を差別するな!」
わたしの前任者は
その患者さんの言い分を聞き入れて
診察の順番を早めていたようなんですね。
ルールが守れない人
マナーのない人に
ただ
障害者がルールを守らなかったり
マナーがなかったりすることへの意見は
前述のとおり
差別だと言われ責められる
可能性があるからです。
注意や意見をすれば
それが差別になるかと言うと
注意や意見をすることが差別だと
声高にヒステリックに叫ぶ方々を
厳しい言い方ですが
弱さを武器にしないで欲しい。
・障害者だから入らないで
→差別
・マナーを守らないなら入らないで
(それが障害者であっても)
→区別
年明け早々に
そんな場面に遭遇したので
日頃から思っていた
《差別と区別》のことを書いてみました。
「似て非なるもの」の代表かと。
最近。
差別と区別を履き違えている場面を
よく目や耳にします。
これはわたしだけではなく
モヤモヤしている方も
多いんじゃないかと思います。
・
心が女性の男性が
女子トイレを使うことについての反対意見を
差別だと言う人がいますが
わたしはそうは思いません。
区別だと思っています。
お互いの心身の安全や社会秩序を
守るためです。それらを守るために必要なのが区別です。
昨今。
少数の意見を尊重し過ぎて
多数を我慢させる風潮が強くなっていることに
激しく違和感を覚えています。本来必要なのは
お互いに尊重し合うことなんじゃないの?
・
わたしは医療機関に勤めていました。
その当時
全盲の患者さんがいました。
その方は
「ワシは目が見えないんだから早くしろ!」
と言うわけです。
要するに
順番抜かしをして
先に診察をしろと言うわけです。
出来ない旨を伝えると
「前任者は気を利かせてくれた。オマエは障害者に寄り添わないヤツだ!障害者を差別するな!」
と恫喝してきます。
大きな声で白杖を振り上げながら
怒るのです。
わたしの前任者は
その患者さんの言い分を聞き入れて
診察の順番を早めていたようなんですね。
でも、わたしは聞き入れませんでした。
その方は
自分の都合の良い場面で
差別という言葉を使い
利用していると思ったからです。
ですので
「これは差別ではありません。これは単にあなたの我儘です。今まで聞き入れていたスタッフが間違っていましたね。そこは謝罪します。でも患者さん皆さんは、お辛くて診察に来ているんです。急変でもない限り順番通りですので、よろしくお願いします。」
ルールが守れない人
マナーのない人に
障害者・健常者の関係はありません。
もちろん
老若男女・LGBT…しかりです。
ただ
障害者がルールを守らなかったり
マナーがなかったりすることへの意見は
正直言いにくい現状があるのも事実です。
前述のとおり
差別だと言われ責められる
可能性があるからです。
注意や意見をすれば
それが差別になるかと言うと
当然ですが
そうではありません。
注意や意見をすることが差別だと
声高にヒステリックに叫ぶ方々を
目にするにつけ
「本質を見きわめろよ。」と
とても残念な気持ちになります。厳しい言い方ですが
弱さを武器にしないで欲しい。
・障害者だから入らないで
→差別
・マナーを守らないなら入らないで
(それが障害者であっても)
→区別
年明け早々に
そんな場面に遭遇したので
日頃から思っていた
《差別と区別》のことを書いてみました。