「離れて良き無関係なる関係」
こんにちは❤︎
『フラワーオブライフ』
中心の〇に
少しずつ重なり合う〇
人間関係もよく似ているな…
って思う。
中心の〇はわたし。
中心の〇はあなた。
少しずつ少しずつ
重なり合って 関係性を成している。
…ように見える。
ここは似てるけど
他は違うね。
って。
そうして
自分を中心とした世界が拡がる。
*・゜゚・*:.。..。.:*・…・*:.。. .。.:*・゜゚・*
春分の日。
感謝せずには いられないことがあった。
溢れ出るこの想いを
どう伝えればいいんだろうか?
こんな自分を
全力でサポートしてくれる方々に
心より 魂より 感謝せずにはいられない。
誰ひとり欠けても
何ひとつ欠けても
今のこのわたしはあり得ない。
「わたしがわたしでありたい」
と、願うなら
わたし以外の誰かや何かを
「それもありなんだね。
(わたしは違うけど)」
と、ただ受け入れればいいんだ。
もしも、それがモヤモヤするなら
「それもありなのかもね。
(わたしは違うけど)」
で、いい。
受け入れる(認める)は
「負け」だと
思っちゃうから
無意識にファイティングポーズを
取ってしまうし
自分の正しさと
相手の間違いを
認めさせたいが為に
論破しようとしたり…
要するに
戦いたがるから
拒否や否定になる。
…とはいえ
どうしても受け入れ難い言動もある。
そんな時は
「そんな考え方もあるんだ…」
と、世間の多様さを
学んだと思えばいい。
まぁ、言うほど
簡単ではないかもしれないけれど。
「わたしはわたしよ!」
と、他者をはねつけて 生きたところで
自分の波動が反映して 作られる世界なら
他を受け入れずして
「わたし」 は、
あり得ないんじゃないかな?
「ジャッジしない生き方」
というのは
「ジャッジをしてはいけない」
のではなく
「ジャッジしたくなくなる」
という風に感じる。
だって「ジャッジ」そのものは
永遠に無くならないものだもん。
そのうち 「ジャッジ」そのものに
フォーカスしなくなるんだろうな…
とも感じる。
だって わたしの感じる世界は
わたしのものであって
わたし以下でも以上でもない
わたしだけが感じている世界。
世界に70億人がいるならば
70億の世界がある。
そして そのひとつひとつの世界を
理解できずとも
そんな世界があるんだね
と、相手を尊重する事ができれば
自分と相手の
似たところを見つけたり
違いを感じたりして
心地よい空間(距離感)が生まれる。
心地よい不可侵。
ここではじめて 穏やかな
「あなたはあなた、わたしはわたし」
が成り立ち
「あなたとわたし」
の穏やかな関係が出来上がる。
敵対するような
境界線を引くのではなく。
ここ数年 わたしは
自分の中で 何度も何度も
『限界自分超え』を経験してきた。
それは 自分にとって
都合の良いことばかりではない。
むしろその逆。
その度に 千々に乱れる心で
「そんな世界(考え方)があるんだ」
と、相手と自分を尊重し
それぞれ距離感を保ってきた。
(…つもり)
尊重するが故の距離でもある。
近けりゃいいってものでもない。
「離れて良き無関係なる関係」
になることもある。
好き嫌いの問題ではなく
ただ 相手とわたしのエネルギーの違い。
どうしても一緒にいられなくなる。
穏やかな
「あなたはあなた、わたしはわたし」
「わたしがわたしでありたい」
と、願うなら
わたし以外の誰かや何かを すべてを
「(わたしは違うけど)
それもありなんだね。」
と、ただ受け入れればいいんだ。
あなたとわたし
どちらかが間違っている
わけではなく
『違い』があるだけ。
ミロクアカデミー
椿姫よよこ