書こうかどうしようか迷ったのだが
私は突発性難聴とパニック障害を患っています。
そのことはスルーしていただいて(笑)
最近、「なぜ私は優しいのか」について考えます。自分で言うな、って話ですけど。(笑)
「優しさ」って何なのでしょう。自分でも何が優しさなのかわかりません。
しいていうなら、病気の経験が私を優しくしたのかもしれません。
当時は本当に辛かったです。随分と周りの人に助けていただきました。
話を聞いてもらい、優しくしてもらい、職場では負担を軽くしてもらいました。
人に頼ること・甘えることを覚えました。
小さなことでも、何かあるたびに話を聞いてもらうようにしました。
私は我慢強く、人に甘えることを知りませんでした。
自分の中でいろんなことを抱え込んでいました。
当時の辛い思い。助けられた感謝の気持ち。痛いほどよくわかります。
私は、ピグでも現実でもそうですが、少しでも何か悩んでいる人がいると
「いつでも連絡してきてね。話聞くからね。」と言っています。
ただのご挨拶、と捉えられる方もいらっしゃると思いますが私は本気です。
私はカウンセラーではありません。講習会などで「話を聞くこと」を学んだこともありません。
自分がされて嬉しかったことを、自分なりに自己流でしているだけです。
相手を否定せず、すべてを受け入れる
気持ちに寄り添う
相手と同じ立場にたち、「もし、自分が相手と同じ状況ならどうするか」を考える
苦しいことを抱えているとき。
場合にもよりますが、必ずしも相手が助言を求めているとは限りません。
気持ちをわかって欲しくて、吐き出したくて。自分を認めて欲しいんです。
「こんなことを考える自分が恥ずかしい。言っても誰も理解してくれない。」
そんな時。自分のすべてを受け入れてくれる人がいたらどれだけ安心できるでしょう。
弱い自分も、恥ずかしい自分も、どんな自分を出しても受け入れてくれる人。
悩んでいる時。「自分は一人だ。誰も助けてくれない」そう思うかもしれません。
でもね。いるんです。ちゃんとそばに自分を助けてくれる人がいるんです。
その時々で相手は違うかもしれません。いつも同じかもしれません。
そのとき限りの相手かもしれませんが、必ず自分を助けてくれる人、理解してくれる人を神様はちゃんと用意してくれています。
私は病気をしたから偉いと言っている訳ではありません。
病気なんてしなけりゃしない方がいいのです。
ただ
冷酷で、サバサバ、テキパキ、スパスパと切り進めてきた私が
様々な経験を経て
暖かく、優しく、ほわほわとした母性あふれる(自分で言うなってw)人間になろうとしていることは事実です。
自分で自分を持ち上げすぎですが。(笑)
私の優しさが、病気からきているのだとしたら。
私はこの優しさを、病気の「おかげ」だと思わざるを得ないでしょう。
「私はこの病気に感謝しています。」そんな優等生みたいなことは言えません。
私は神様ではありません。仏様でも住職でも坊さんでもありません。ただの人間・凡人です。
「病気に感謝」と言えるほど大きな器を持った人間ではありません。
「感謝」は出来ないけれど「おかげ」であることは感じています。
「おかげさまで」と言った方がしっくりくるでしょうか。
今回、この日記を書くことを迷いました。ピグではこのことは誰にも言っていないからです。
私がこの話をしたことで、私に対する見方が変わる方もいるのではないでしょうか。
もしも離れていく人がいたとしても、それはそれで仕方がないと思います。
心配してくださる方もいらっしゃるでしょうか。
ではなぜ書くことにしたのか。それは「言いたくなったから」です。深い意味はありません。(笑)
まあ、なんだろう。こんな変わったことを考える、乙女チックな人間がいることを知らせたくなったのです。アハハ。
話は戻りますが。
「優しさ」って何なのでしょうか。わかりません。ただの「自己満足」と言ってしまえばそれまでです。
ただ私は「話を聞いてもらうこと」で救われてきました。
今度は私が「話を聞くこと」で誰かの気持ちを楽に出来たら。
そこに私が生まれてきた意味があるのなら。
こんなに幸せなことはありません。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
おわり
※この記事にはコメント欄は設けていません。もしも何かを感じていただけたら、メッセージをいただけると嬉しいです。
そのことはスルーしていただいて(笑)
最近、「なぜ私は優しいのか」について考えます。自分で言うな、って話ですけど。(笑)
「優しさ」って何なのでしょう。自分でも何が優しさなのかわかりません。
しいていうなら、病気の経験が私を優しくしたのかもしれません。
当時は本当に辛かったです。随分と周りの人に助けていただきました。
話を聞いてもらい、優しくしてもらい、職場では負担を軽くしてもらいました。
人に頼ること・甘えることを覚えました。
小さなことでも、何かあるたびに話を聞いてもらうようにしました。
私は我慢強く、人に甘えることを知りませんでした。
自分の中でいろんなことを抱え込んでいました。
当時の辛い思い。助けられた感謝の気持ち。痛いほどよくわかります。
私は、ピグでも現実でもそうですが、少しでも何か悩んでいる人がいると
「いつでも連絡してきてね。話聞くからね。」と言っています。
ただのご挨拶、と捉えられる方もいらっしゃると思いますが私は本気です。
私はカウンセラーではありません。講習会などで「話を聞くこと」を学んだこともありません。
自分がされて嬉しかったことを、自分なりに自己流でしているだけです。
相手を否定せず、すべてを受け入れる
気持ちに寄り添う
相手と同じ立場にたち、「もし、自分が相手と同じ状況ならどうするか」を考える
苦しいことを抱えているとき。
場合にもよりますが、必ずしも相手が助言を求めているとは限りません。
気持ちをわかって欲しくて、吐き出したくて。自分を認めて欲しいんです。
「こんなことを考える自分が恥ずかしい。言っても誰も理解してくれない。」
そんな時。自分のすべてを受け入れてくれる人がいたらどれだけ安心できるでしょう。
弱い自分も、恥ずかしい自分も、どんな自分を出しても受け入れてくれる人。
悩んでいる時。「自分は一人だ。誰も助けてくれない」そう思うかもしれません。
でもね。いるんです。ちゃんとそばに自分を助けてくれる人がいるんです。
その時々で相手は違うかもしれません。いつも同じかもしれません。
そのとき限りの相手かもしれませんが、必ず自分を助けてくれる人、理解してくれる人を神様はちゃんと用意してくれています。
私は病気をしたから偉いと言っている訳ではありません。
病気なんてしなけりゃしない方がいいのです。
ただ
冷酷で、サバサバ、テキパキ、スパスパと切り進めてきた私が
様々な経験を経て
暖かく、優しく、ほわほわとした母性あふれる(自分で言うなってw)人間になろうとしていることは事実です。
自分で自分を持ち上げすぎですが。(笑)
私の優しさが、病気からきているのだとしたら。
私はこの優しさを、病気の「おかげ」だと思わざるを得ないでしょう。
「私はこの病気に感謝しています。」そんな優等生みたいなことは言えません。
私は神様ではありません。仏様でも住職でも坊さんでもありません。ただの人間・凡人です。
「病気に感謝」と言えるほど大きな器を持った人間ではありません。
「感謝」は出来ないけれど「おかげ」であることは感じています。
「おかげさまで」と言った方がしっくりくるでしょうか。
今回、この日記を書くことを迷いました。ピグではこのことは誰にも言っていないからです。
私がこの話をしたことで、私に対する見方が変わる方もいるのではないでしょうか。
もしも離れていく人がいたとしても、それはそれで仕方がないと思います。
心配してくださる方もいらっしゃるでしょうか。
ではなぜ書くことにしたのか。それは「言いたくなったから」です。深い意味はありません。(笑)
まあ、なんだろう。こんな変わったことを考える、乙女チックな人間がいることを知らせたくなったのです。アハハ。
話は戻りますが。
「優しさ」って何なのでしょうか。わかりません。ただの「自己満足」と言ってしまえばそれまでです。
ただ私は「話を聞いてもらうこと」で救われてきました。
今度は私が「話を聞くこと」で誰かの気持ちを楽に出来たら。
そこに私が生まれてきた意味があるのなら。
こんなに幸せなことはありません。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
おわり

※この記事にはコメント欄は設けていません。もしも何かを感じていただけたら、メッセージをいただけると嬉しいです。