『時は流れない。雪のように降り積もる。
人は優しくなったか。賢くなったか。』


今朝の読売新聞 一面。
胸に 来る。





心が ざわざわする時は
和食とか、煮込み料理を作る癖があります。




今日は 豚肉のねぎ塩だれ、
鶏そぼろとごぼうの炊き込みごはん。

$Bonne fraise*+.-negisio



$Bonne fraise*+.-gobou2




さらに お弁当用のミニバーグ…一応全部ハートなのよ笑
$Bonne fraise*+.-hanbag







作業の途中 アラームが鳴り
息を整えて
黙祷。





去年、3月13日 mixiに書いた日記
やっぱり、ここにも載せておこうと思います。
当時の正直な気持ち。











◆3月7日 月曜日


雪が降ったよね。
帰り道、近所のお家の門に、凝った雪だるまが作ってあって

もう今年最後かな、あとは桜が咲くのを待つのみだな、と
思っていたんだよ。






◆3月8日 火曜日


今年度最大の残業、20時半まで。
でもすぐに家に帰らなかった。




「神様、ケンカはやめてください。」
タワレコで RADのこの言葉が
なぜだかとても、心に残った。



彼をマックに呼んで、会った。
体力ないしやることいっぱいあるしーって
普段は一刻も早く家に帰りたいわたしだけれど


なぜかこの時、
「会えるときに会わなきゃ」
と思ったんだ。






◆3月9日水曜日・10日木曜日

古い卵料理を食べてしまい、食あたりでダウン。
なぜか自分の部屋の机の上と、本棚を片付けたくなった。
整理して並べてしまった。



まるで、今の並び方を確認するように。
わたしなんで今こんなことしているんだろう?
と思いながら。



そしてこの時ほとんど仕事もお休みしちゃったので
あした金曜日は休めない、がんばろう、
と思いながら。






◆3月11日 金曜日

木曜の夜、電話で彼のちょっとした言葉に嫉妬して
前のことまで思い出して、ぶーすかぶーすか。



ぶーすかおさまらなくて、
この日の朝、友人2人にメールしようと思ったけど
いつもならすぐ送るんだけど
なんとなく、「いや、こんなのちっぽけなことになるかも」と思って
消しちゃった。




いつもどおり仕事に行き、
帰りに この日発売の 君に届けを買って、
auショップに行って機種変更して、
いつもどおり 土日の予定を楽しみにして眠るんだと思ってた。





14時46分
わたしはそのとき、放課後にカウンセリングが必要な女の子と
相談室で2人っきりでした。
お母さんと一緒じゃないと来られなかった子が、
この日一人で 笑顔で来られて。



塗り絵をしながらお話をしていて、
すぐに収まると思った小さな揺れが
収まらなかった。



とっさに女の子には机の下にもぐってもらい、
ガスストーブを消し、窓を開けて、
一緒に小さくなって。



「やだ!とまるの!ぜったいに地震とまる!」
って泣き叫んだ女の子の声。
ものすごい揺れで迫ってくる棚、
壁のヒビ、廊下が粉で真っ白。



わたしは この光景、
2011年3月11日を 忘れられないと思う。






とにかく子どもたちを守るのに必死で
全員、校庭の中心に集まって、余震もものすごくて。
誰もケガしなかった。本当によかった。


保護者が迎えに来ないと帰宅させることはできないので
一人ひとり、迎えに来るまで待ちながら
不安で泣いている子たちに寄り添って。



約300人全員が22時前に帰宅できて
本当に良かった。
保護者の皆さんも本当に心配で大変だったと思う。






そして携帯同士がつながらない時も
親にも、彼にも、
学校の電話から安否を確認することができました



ネットも無理かと思ったけど
mixiもツイッターも見られる、
みんなが書き込んでいることで
かなり安心しました。
メールやコメントをくれた方々、本当にありがとう。





都心ど真ん中で、駅から近い学校なので
帰宅できない方々が、続々と避難に。



毛布出したり対応でわたわた、気づいたら日付が変わってた。
公共の場所で働くってこういうことなんだ…
ニュースでは 信じられない映像ばかり。




学校が落ち着き、
何人かの先生も 動き出した電車でいったん帰宅し始めた頃
わたしはもう、家が遠いし
寝ずに朝まで学校にいるつもりだったけれど



彼が奇跡的に区内でタクシーつかまえて
学校まで迎えに来てくれて
ぶわっ(´;ω;`)
長距離歩いた後で大変だったろうに。




おかげでちょっと寝ることができました
本当にありがとう。


前夜はぶーすこぶーすこ言ってたわたしだけれど、
本当ね、生きていてくれて、会えるということ
こんな時に、どれだけありがたいか実感するなんて。







◆3月12日 土曜日

余震は続くし ガスは止まっていたけれど
外に出れば都内は、ほとんど平和で。
本屋さんは無事、スタバは閉店。

2人でハンバーガーを食べてほっとする。



ニュースの中の、
信じられない映像とのギャップがすごくて
くらくらする。



本当は2人で、友人の送別会に参加する予定だったけれど
やむなく中止、
彼は仕事へ、わたしは家が心配で実家へ。
残念だけれどみなさま、また必ず会おうね。






わたしの大事な友達何人かは
ご実家が仙台だったり、岩手だったり。


今もご両親と連絡がつかない、
生まれ育った家が街ごと流れている、
その不安や恐怖はどれほどだろう。


どうかどうか無事でありますように
祈ることしかできない。




一人暮らしでご実家と連絡が取れない方々、
本当に不安だと思います。
それでも仕事に行かなきゃいけないだろうけど、
いつでも弱音吐いていいからね。
ひとりにならないで。






「自分を責めてしまう気持ち」って
いちばんしんどいし、心の病にもつながりやすいです。


「なんで自分だけ助かったんだろう」
「何もできない自分がはがゆい」
って思うのも当然だけれど



色んなことを思い出してしまって当たり前、
みんな弱くて 何もできなくて当たり前だから。




まず、自分と、自分の周りの大事なひとを守ってください。
気分転換しても良いと思う




その上で 正しい情報を流す、
義援金に協力する、
次の余震に備える。
今の自分ができること、少ないからこそ、それがすべてだから。





阪神大震災の時も、日本人は暴動を起こさず迅速に助け合った
世界中がその姿を見て入れくれていて、今も助けて祈ってくれている



こんな時に、地震を「利用」して
自分の利益しか考えない人がいて
こわくもなるけれど



こんなときに、人が人として動けないでどうする
支え合わないでどうする






阪神大震災の時も
多くの臨床心理士が 後に現地に派遣されて貢献してきたという


あの時小学校3年生だったわたしは、
いま 小学生たちを守る立場。



命が最優先、そして食べ物や生活に必要なもの、環境。
その後は、きっと心のケア。
明日からわたしも、職場で自分にできることを、します。




無責任なことは言えないけれど

生きようね。
大丈夫だから。




戦争や核、地震を乗り越えたご先祖様達のように
日本、今頑張っているから
これ乗り越えたら、この世界はとても強くやさしくなれるから



神様、ケンカはやめてください。













あれからあらゆることが怒涛だったなぁ……
あの日迎えに来てくれた彼とは お別れしてしまったけれど
この一年間、わたしはたくさんのものを失った分
本当に大事なものに気付けたと思う。




たくさんのひとたちが 生きたかったであろう
変わらず住む家があってごはんが食べられると思っていたであろう
一年後の 今日。
どうか 安らかに。




さらに今日 RADWIMPSから届いたニュース。
http://radwimps.jp/wimps_repo/2012/03/post_8.php



悲しみは流れない 降り積もる。
いつか わたしたちが必死にふんばっている今も 歴史になり 
子どもたちに語り継がれていくのかな

延命は続く
ありがとう。