今日 50分しか眠れなかった身体で 仕事から帰り
本屋さんに行って
購入前に 指がページをめくってしまった
ぽろぽろと 床に落ちた
手に持っていた荷物も
涙も
何か「すべきこと」を背負って 生まれてきたひとは
平坦な道を歩けないこと
そのひと自身も どこかで分かっているのだと思う
それぞれのひとが それぞれの
すべきことを背負っているのだろうけれど
それが、何にかかっているか だと思う。
わたしのお仕事は
とにかく 辛い感情を受け止め アドバイスするものだと
イメージされがちだけれども
なんというか わたしの中では もっと
誰もが 自分自身の道を歩いていけるように
そっと いろんなものを拾っていく作業をしていくような。
もちろん 日々 たくさんの辛い感情を受け止めるたびに
何が出来るだろう、と 無力さを感じるけれど。
ただ聴くだけで出来るのだったら
わざわざそれが仕事として必要とされないであろうし
出来ない出来ないと言っていたら、プロとしてわたしはやる資格が無くて。
「いま、ここで誰よりも味方で、
絶対にこのひとの人生の役に立つ」
という覚悟。
本当の癒し、って
そこに 闘いや痛みがあってこそ
その後に虹がかかるように 生まれるものだと想うの。
そして 目の前の 世界に一人のひとと向き合うことは
そのうしろの広い世界を 意識することでもあって
わたしのさせていただいていることは
日本全体にも
通じていると思っています。
わたしがのほほんと ホットケーキを焼いている間も
大きなひとを失って
大きなものと闘っているひとがいて。
任せとけ、って思える日も
不安や絶望に打ちひしがれる日も
毎日生きていたら
色んな日があるだろう
不安の大きさは
あなたが 日々守っているものの大きさだよ
どうか 自棄にならぬよう
持ち帰りのお仕事が ちょっと落ち着き
金土日と 久しぶりの方々と会い、
新しい場所にも行ったりして。
黙っていても それなりにふらふら行動してしまうであろうわたしを
本当に心配してくれて
どうしようもないわたしの人生というものを考えてくれて
話してくれる友人たちがいる。
ありがたいです、本当に。
自分の人生に恥じぬ生き方で 恩返しするしかないね。
ふと
自分が50歳まで生きられたとしても
あと 8650日しか無いんだなぁと
先日 気付いて。
60歳まで生きられたとしても
1万日ちょっと。
うわぁ
それしか無い中で 何が残せるだろう。
どれだけの愛を この世界に。
わたしは わたし以上にも以下にもなれないことの
愛しさと残酷さを いつも想うよ。
『真実は行為だ。
愛情も行為だ。
表現のない真実なんてありゃしない。』
By 太宰治
ひとは 本当に大切なものやひとができると
大切すぎて 自分には輝きが眩しすぎて
簡単に触れられなくなってしまう。
わたしに出来ることは 何だろう
願うこと 祈ること
日々のお仕事に誠実に向き合うこと、
書き続けること
あなたの人生も あなたにしか歩めないもので。
でも そう 誰かのために生きることで、ものすごく頑張れる。
見詰め合うだけでなく、むしろそれより、同じ方向を見られるひと
背中を押してくれたひと
認めてほしいって思えるひと
Go my way
Go your way
Go our way.