ずっとずっと書きたかったテーマ。



まだまだ こんなテーマで書かせてもらうにはおそれおおいぺーぺーだけど、
だからこそ 今書いておいて、数年後に読み返したい。



長くなると思うのでふたつに分けます。
まず、その1:SCを目指したきっかけから。笑




いちご桜いちご桜





小学校も中学校も 実は大嫌いでした。
苦手だった、全員同じにしなければいけないということが。
こんなこと考えてるの わたしだけかなぁ?と 思ってた。
絵や詩や日記は ずっと書いていました。



中2の時に入院して 学校に行けなくなった日々で
世紀末の詩に出逢った。



中3の時に出逢ったひとが
勉強の楽しさを教えてくれた。
目標を持つこと、学ぶこと、知りたいと思えること、成長すること。
そして 第一志望の高校に入れた。
けれどそのひとは 制服姿のわたしを見ることなく 亡くなってしまい。




あぁ、自分も 周りのひとも
いつ死ぬかわからないんだな、って想いが 根っこに住み続けるようになった。





そして この高校生活が素晴らしかった。
まず 尊敬する先生に出逢えた。
なんというか、人として 気が合ってたんだと思う。笑
その先生は、授業が魅力的なだけじゃなくて、
人柄が滲み出ていて、
わたしをひとりの人間として接してくださっているんだなっていうのがわかった。




そしてまず 「教師になりたいなぁ」と思っていた。
けれど 勉強していくうちに
なんでだったかなー、スクールカウンセラーのことを知って。
そして 河合隼雄先生の本に出逢い、ピッシャーン。稲妻が落ちる。アップ





わたしと同じことを考えてらっしゃるひとがいたんだー!!
わたしが大事にしたかったこと、大事にできる職業があったんだー!!
大勢の子どもたちに教えるプロとはちょっと違って、
ひとりひとりに寄り添うプロになりたかったんだ。




しかし高校も欠席しまくってたわたし←
高3の秋の文化祭、演劇でヒロインやらせてもらった上に、後夜祭でバンドまで。
燃え尽きてしばらく抜け殻、受験勉強どころじゃない←



当時、心理学科はどこも、センター利用できないし定員も少なく倍率高い、
偏差値も心理学科だけボーンと高い大学がほとんどで。
わたしには到底無理だと、学校の先生方には思われていました……



それが奇跡の 1校だけ合格。
信じてくれた両親と塾の先生と仲間がいたからです。






大学に入り、
「スクールカウンセラーになろう=教師にはならない」
と決めていましたが、
教員免許は取ろう、と 決心していました。



日本では 教員免許を取っていなくてもSCになれるけど、
SCとして将来 学校現場でやっていくには、
教育現場のこと、先生側の立場、大変なこと、などなど
学んでおけることは 学んでおきたいと 思ったからです。




昔は比較的簡単に免許取れたらしいけど
最近はそうもいかなくて。
心理学科の先生に、「心理卒業と教員免許両立なんて絶対無理よ!!」と
いわれたのを覚えています。笑




心理学科の課題だけでも 実験レポートとか統計とか実習とかで大変なのに、
教職取ると そりゃーもう。4年になっても週6で授業でした。
神奈川のキャンパスには片道3時間で死んだので
1時間半のとこに 家賃タダで住まわしてもらうかわりに、
生活費払うため 週6~7でバイトしつつ。





何度も倒れて運ばれたけれど
あきらめられなかった。あきらめたくなかった。





その間に 20歳で詩集を出版させてもらい。
どうしても「死ぬまでに本を出したい」と思っていて。
そしたら、会いたかったひとその1 谷川俊太郎さんにお会いできて、お話できて。




そして 会いたかったひとその2 河合隼雄先生が大学にいらっしゃって、お話聞けて。
本気で会いたいと思っていれば、
道が開けて会えるんだー!と 思った。




22歳、大好きな母校で教育実習をする、という夢が叶って。
本当に大変だったけれど、本当に素晴らしい経験だった。
そして数ヵ月後、大学に行ったあの恩師の先生が 母校にいらっしゃって講演されて、
再会することができて。
すごいなぁ。つながってるなぁ。





実は就職してから大学院に行くか
すごく迷った。
お金もかかるし、両親に迷惑かけるし、
自分でお金貯めてから行ったほうがいいんじゃないかと。





けれどそのとき、院試用の予備校の説明会を抜けて初めて安藤裕子のライブに行って
「大学院受験しよう」と決めました。笑
その説明会を抜け出すときにもらったパンフレットの大学院に、
合格して通うことになるなんて。すごいなぁ。





色々経験しておいたほうが良いと思って
高校~大学では本当にあらゆるバイトをして。笑
大学4年、大学院1年目は
精神科、心療内科の病院で働いていましたが
とっても勉強になりましたが
「あぁ、やっぱり、わたしがずっと居たいのは教育の現場だ」と 実感。
医療現場にいる方々って、本当にすごい… つくづく自分には向いてないとわかった笑





大学院1年目
河合隼雄先生が亡くなって。


どれだけ、先生の著作に支えられて ここまで来られたか知れない。
臨床心理士になった自分で、またご講演を聞きたかったけれど。
あとちょっとだったけれど。
遺してくださったものは、はかり知れない。




大学院2年目、ゼミの先生の紹介で
都内中学校のSCを週一回 させていただくことになり。
手探りだったなぁ、本当に。




社会人一年目は 千葉県内の教育センターに勤務。
ここで、学校のことも先生のこともSCと連携することも、
教育相談やら教育委員会やらのシステムなんやらかんやらも、
学べて本当に良かった。



そしてその年の秋冬、臨床心理士試験。
仕事しながら勉強、さらに次の年のための就職活動って
こんなにきついとは。笑




合格したとき
死ぬほど泣いた。






大学、大学院、教員免許、資格試験。
ストレートで来られると思っていなかった。


浪人したら 支えてくれている両親にさらに苦労をかけてしまう、という危機感と感謝と
本当に 人に恵まれたのと
「絶対叶える、そのためには今何をすればいいか」って 
過去の自分が 不器用なりに考えて行動してくれた結果だと思う。
本当ね、過去の自分の努力は 今の自分には出来ない。笑 
ありがとう。





そして翌年
高校生、18の時に決心してから 7年後。
「臨床心理士になって、スクールカウンセラーになる」
という夢が 叶いました。




会いたいひとその4:
高校の時の大事な大事な友人に 再会できて。
「もう会えない可能性のほうが大きいと思う、
でも絶対にいつか会える、
夢を叶えるまでがんばる」

って思っていたから ここまで来られて。本当に。




ありがとう。




その2:SCになってから編~実はお仕事内容とわたしの想いってこういうことなのです~
に続きます(^^)

↑こっちは初めて書くことがほとんど
多くの方に読んでいただけたらいいな!ラブラブ