◎いつだって最高だったんだ!


気づいた


そういうことだ


私(私たち)は


最高のものしか

受け取れないのだ!


それは

どう言うことかというと


私たちは

それぞれに


経験する出来事に

意味づけをする


当たり前にしているだろう


疑うことはない


「出来事には意味がある」


どうだろうか?


出来事→意味

つけていないだろうか?


私も

確かにそうしていた


ひとつひとつの

出来事に


意味はあったのだ


しかし

それは


本当に?


本当だろうか?


実は、


出来事に

意味はなかった


出来事は

すべてニュートラルだ


ニュートラルなエネルギーだ


意味は、


三次元の人生劇場に

必要なものであり


そこから抜け出したら

必要なくなるのだ









私は


三次元人生劇場に

入り込んでいた


すべての出来事に

意味をつける


演者だった


演者ということに

気づけずにいた


誰もがそうだ


三次元人生劇場に

参加する資格は


本当の自分

純粋意識であるを


忘却すること


それを前提として

参加していた


けれど


演ずることに

疲れ果てた演者(私)は…


もう辞めたい


人生劇場を

降板しようとしていた


その時


何かがおかしい?

違和感を感じたのだ


そこから始まった

自分探しの旅


のろのろ

うろうろしながらも


ひとつひとつ

目的地に辿り着いている


そう、


三次元人生劇場では


すべての出来事に

意味をつけてきた


これは良いこと

これは良くないこと


嬉しいこと

悲しいこと


正解

不正解


勝ち

負け


合格

不合格


ポジティブだ

ネガティブだ


すべてにジャッジした


それはそれは

苦しかった


でもそれは


三次元世界では

仕方のないこと


それをする次元なのだ


当時は


三次元世界?

五次元世界?


次元って何?


全体像に気づいていなかった


けれど

決めたことがあった


それは

もうここには居たくない


その思いが原動力となり


「次に進む!


決めていた


なので


今(現在)を

引き寄せることができた


ジャッジする世界を手放せた


手放したそこは


意味づけはいらない


そもそもの


幸福


愛や光


そして感謝


最高のものしか

受け取れない


そんな世界だった


これが

本質なんだ







ジャッジを手放した

ジャッジを手放したら

当然、

ジャッジするものはない




ジャッジするのは思考


その思考は自分ではない


ジャッジしまくっていた自分


もうひとりの自分


気づいてあげられなかった


今まで


ありがとう

ごめんなさい

許してください

愛しています