昨日は親戚のお葬式でした。

一昨日の早朝に、眠るように、亡くなっていたそうです。


10年前に狭心症で倒れ、病院に通ってました。

その後元気になりましたが、4年前に心筋梗塞で心肺停止でまた倒れました。

しかし、人口心臓で奇跡的に回復し、普通に日常生活ができるまでになりました。

そして今年10月に、また救急車で運ばれ、それからずっと入院してましたが、3日前に母がお見舞いに行った時には歩けるようになっていたし、メロンも食べていたそうです。

お正月には一時退院の予定で、お餅が食べたいと言っていたそうです。


夜中の3時、看護師の見回りの時には、トイレに行きたいと言って、付き添ってもらって、

迷惑かけてすまんのぉ

と言って寝たそうです。

5時の見回りの時には、亡くなっていたそうです。

76歳でした。


しかし、名古屋の葬儀はこれが普通なのか、淡々と進められていきました。

火葬場が八事しかないのか、いつも名古屋は八事ですね。

今日が友引なので昨日は火葬場もいっぱいらしく、市の取り決めで、20人までしか入れませんでした。

バスに乗れない人は、いつもバスについて、車で火葬場に行った気がしますが、それもダメでした。

さらに焼き場では、もうお顔も見れないとのことで、式場で花とか入れたときが見納め。

そしてさらに、お骨も3人しか拾えないという決まりがあるというので、ビックリしました。


そういう事で、火葬場には親だけ行き、20人に入れない私たち従姉妹は式場で3時間以上待たされました。

祖母も、移動が大変ということで私たちと留守番でしたが、何もないところでひたすら待つのも大変でした。

2時間もすると会話もなくなり、お菓子も食べてお腹いっぱいで眠気が…

別のグループの人達も、私たちと同じような会話で、たどり着くのは眠くなってきたとのことで、聞いてて笑えてきました。


火葬場から戻ると、またお参りで、その後食事が終わって19時に。


8時間がかりのお葬式でした。



しかし、最後のご住職さんの話で、

葬儀というのは、なくなった人をお化けにしないための儀式なんだとおっしゃってました。

命あるものは、いつか命が無くなる。

死と対面することによって、今の生き方を考え、死者を仏として敬う対象になるであろう。

ということでした。



死=生きざま


といいますね。



自分の生きざまを考えるのも大切ですね。



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