こんばんは。
今日は春を思わせるような暖かさになりました
このまま暖かくなってくれれば嬉しいのですが・・・。
少し前に行った診察とカウンセリングにて思ったこと。
主治医と話す中で、摂食障害は生きずらさを補う”杖”で、その杖がなくなって困ることは何か、つまり病気が治って困ることは何か?という話になりました。
主治医「もし明日目が覚めたら病気が治っていいたらどう?」
私「・・・う~ん。万々歳ですね。」
こういう場合↑の方が難儀らしい。
治って困ることがあった方がそこにアプローチできるから、治りやす、といったら語弊があるかな、治療につながりやすい。
でも、そこが分かっていないとアプローチしにくいし、そこの部分がやっぱり核心的な部分になるんだと思う。
聞かれた時は困ることが出てこなかったけど後から色々考えてみた。
今までにも同じようなことを考えたことはあったけど改めて考えてみた。
まず出てくるのは、病気を治すために頑張っている姿を母に見てもらいたい、頑張っているねって思ってもらいたいということ。
でも、物凄くこれが自分の中にストンって落ちる感じがない。
本当にそうかもしれないしそうじゃないかもしれない。
もしかしたらこういう理由もあるかもってぐらい。
他にも考えてみたけど思いつくことってそれくらいしかない。
元々、病気になった小6の時も、自分に自信が無かったわけではないし、物凄く体型が気になっていたわけでもない。
どちらかというと、自信はある方で目立ちたがり屋で常にみんなの中心にいるようなタイプだった。
だから、何故”杖”(=病気)を持たないといけなくなったのか分からない。
ただ、何かを満たそうとしていたようには思う。
病気になり始めた頃は丁度今まで頑張っていたことが一段落して、目標みたいなものがなくなり始めていたのかもしれない。
あとは、その頃丁度祖母の看病に母が忙しくなり始めていたのも、何か関係してくるのかな…と思ったり。
カウンセリングや診察では、そこのところについて話しているけど、答えは見つかるのだろうかと不安もある。
でも、カウンセリングとかで話していく中で1つ感じたのは、母から心理的な親離れができていないのかもってこと。
あまり健康的でない関心?執着?があるようにも感じた。
それを認めるのが嫌な自分もいたり??
色々考えていると本当の自分が分からなくなってくる。
どれが本心で真の自分なのか混乱してしまう。