こんばんは。
今日は朝から良いお天気でした
日差しが強くめちゃくちゃ暑い
休日ですがステイホームです
昨日、久しぶりに(と言っても2週間に1回のペース?)母と電話で話しました
内容は前々回にもブログに書いた対人関係のこと。
話していく中で分かったこと。
①自分のこと(例えばちょっとしたプライベートなこと)を話すことへの不安や怖さ、
この要因としては、人との関係を作ろうとするときにまず自分のこの苦しみや辛さ(=病気)を理解して欲しいという欲求があり相手に見返り(=理解)を求めていること。
だから、「この人なら理解してくれる」って思える人じゃないと自分のことを安心して話せなくて、またまた職場の人と雑談する中でその瞬間は自分で話したいって思って自分のこと話すのだけど、自分のことを理解してくれる人か分からない人に話してしまったことが不安になるのかもしれない。
なんかややこしいですが(苦笑)
でもでも、普通自分のこと話すときに見返りとか求めないよね。
ただ自分が話したいから話すのであって、結果として話してスッキリしたとか、話して相手が「分かる分かる」って共感してくれたら「あっ分かってもらえた」って思うのであって、最後の部分は結果論。
それに、自分のことを話していく中で相手と関係性作っていって、その中で悩んでいることとか相談できるようになっていくのが自然な流れなのだから、最初から「この人は理解してくれる人だろうか」って思ってたらずっと自分のことも話せないし、結果一生親しい関係は作れない。
と言う話になり、確かに見返りを求めていたのかもと気づかされました。
上手く言葉にできないのだけど、これまでは病気のことを理解してくれる人=何でも話せる理想の関係みないな理想像があったけど、別に病気のことを理解してくれることだけが良い関係ってわけじゃなくないって。
(良い関係をどういう関係なのかっていう問題もあるけど)
ざっくりまとめると見返りを求めてたらいつまでたっても自分のこと話せないし良い関係なんか作れないってことかな。
凄くざっくり。
②上手く話そうとして逆にテンパって上手く話せず、相手がどう思ったか気になって落ち込む。
これについては母からひと言。
「あんた何様?」(笑)
確かに~(笑)
売れっ子芸能人でもないし政治家でもない。
ただの一般人です。
ただの一般人が話した、たわいもない話の内容なんて相手は逐一覚えてないし気にしてもないよ、ということです。
そう言われてすぐは分かるけど何となく腑に落ちなかったのですが、もし気になったら、例えば嫌に思わなかったかとか、それを相手に聞いてみたら確認できるし良さそうと思い想像したら、うん、きっと「全然気にしてないよ。嫌じゃないよ。」って返事がきそう。
逆に自分が相手側でもきっとそう答えると思うし。
さらに、母から、「もし聞くなら早めに聞かないといけないよ。そうしないと、えっいつの話し??ってなるから」と言われ、あぁやっぱりその程度のもんなんだなーって。
そしたらウジウジ気にするだけ無駄だよなーって。
だから、気になってしまった時はなるべく反省会をせず気持ちを切り替えるようにしないといけないなと思いました。
こんな感じのことを2時間近く話してました(苦笑)
ブログも長々とすみません。
食の拘りにしろ対人関係にしろ、今の私はガチガチのがんじがらめになっていて、そのどこかがフッと緩んでくれたら連動して色々なところも緩んでいくのだと思う。
もっと自由に自分を解放してあげたい。
解放できたらきっと楽なんだろうな。