こんにちは。

今日も晴れて良いお天気です晴れ

昼間は暑いくらいですあせる

 

 

 

今日は体育の日走る人

スポーツするのに良い季節のはずですが、今日みたいに暑いとバテちゃいそうですね。

 

 

 

私は土日と大学に行ったりしていたので今日は1日家に籠って読書dayです本

寝っ転がって読書するせいか途中から意識が飛んでしまってウトウトしちゃってます汗

ダラダラと過ごしたので何だか体が重たいです。

 

 

 

話は変わり・・・。

ここ最近、就職に関する募集が地元でもポツポツ出始め、少しずつですが就活し始めています。

履歴書や面接など具体的に進めていくことを考えていく中で、相手方に病気のことを打ち明けるかどうかという問題が出てきました。
 
 
 
できることなら言わずにいたいのが正直なところです。
知られることに凄く抵抗を感じてしまいます。
じゃなぜ、強い抵抗感があるのか、少し考えてみました。
 
 
 
それはたぶん私の中で病気の存在が物凄く大きなものだからという考えに至りました。
(今更って感じですよね汗)
 
 
 
もし病気が過去形だったら、「実は私拒食症だったんですよねー。結構大変だったんですよー」なんて笑いながら言えるだろうし、もう少し回復していたら「実は拒食症なんですよ。だいぶ良くなってきているんですけどたまに調子悪くなるんですね。」ともっと気軽に言えるのだと思います。
 
 
 
だけど現在の私はガチガチの拒食症。(The 拒食!)
拘り=病気に支配されてその中で生きている状態です。
もはや病気は生活、いや、自分自身の一部になっていて、私にとって大きな割合を占めています。
 
 
 
重要って表現があっているか分からないけど、とてもデリケートな部分となっているから、だからこそ、そんな重要でデリケートな部分を打ち明けることには凄く抵抗感があるんだと思います。
 
 
 
言い換えればそれは、まだまだ病気が鎮座し主導権をガッチリ握っているってことでもあります。
 
 
 
「今のままではダメなことは分かっている」と言いながらも実際は目を逸らしてきたり、こう上手くひょいひょいっとかわしてきたところを、就活(働くこと)といった形でふいに突き付けられた、そんな感じがしました。
 
 
 
まだまだ病気の支配下にいるのだと改めて認識させらるとともに、それでも積極的に行動できない自分の弱さ、甘さに情けなくなりました。
 
 
 
病気を持っている以上、今回のように痛いところを突かれるということは、社会に出ればもっともっとあるのだと思います。(あくまで自分の考えです)
今までは自由かつ守られ過ぎていただけ。
社会に出て働くということは厳しく、こうやって病気は付いてくるのだと思い知らされました。
 
 
 
でも、だからこそ向き合わなければいけないのだとも思いました。
ある意味、緩んでいた気持ちに”喝喝!”を入れられ、現実から目を逸らさないための試練みたいなものなのだと解釈しています。
 
 
 
そして相手方に打ち明けるか否かについてですが、病気に向き合いという意味では言った方が良いのかなと思いました。
今まではずっと隠し続けてきたけど、それは病気から目を逸らしていたのかもしれません。
(あと、もし面接とかでこの職に就こうと思ったきっかけを聞かれたら、原点は病気だから言わざるを得ないのかなとも・・・。)
 
 
 
と言いつつも、正直まだ迷っています。
そうやって迷うことが病気から目を逸らしているっていうことなのかもしれませんが、それとは違ってデリケートな部分?プライベートな部分?ということもあって決心が固まっていません汗
難しいところです・・・。
 
 
 
明日からまた1週間が始まります。
今研究で再び大きな壁にぶち当たっている真っ只中で毎日悶々と過ごしていますチーン
早く抜け出したいです。
 
 
 
朝夜と昼間の気温差が大きいので体調にお気を付けくださいね。