こんにちは。
今日は曇りのお天気です

いつもよりちょっとだけ涼しいです。
関東地方の方は台風大丈夫ですか?
大きな被害が無いことを祈ります。
少し病気関係のお話です。
ネガティブな内容になるかもしれないので苦手な方はすみません。
食事と人間関係って、切っても切れない関係だとここの所ずっと考えています。
同じ釜の飯を食う
意味:生活を共にした“親しい”仲間であることのたとえ
ことわざにもあるぐらいだから、やっぱり親しい関係になるためには、一緒に食事をする事が必須なのかな。
これまでは、食事(食べること)を介さなくても親しい関係は築けると思っていました。
思っていたというよりそれを望んでいました。
でも、その考えは甘かったのかもしれません・・・。
単純に考えて、関係を深めるためには同じ時間を共有することが必要ですよね。
一緒に遊びに行ったり、旅行にいったり、ご飯を食べに行ったり・・・。
そこにはどうしても“食事”が入ってくる。
むしろ、一緒に食事する時間が、色々話をする時間になって、ちょっとした悩みとか話したりできるんだと思う。
食事(食べること)って、普通は嬉しいこと、楽しいこと、満たされること、つまりポジティブな感情を伴いますよね。
そして、そのポジティブな感情を誰かと一緒に「美味しい」として共有する、この「美味しい」の共有こそが深い関係、深い繋がりへと結び付いていくんだと思います。
だから、食事(食べること)抜きに関係を深めることは難しいのだと思う。
私は、食事を嬉しいとも楽しいとも思えない。
美味しいとも思えない。
共有できない。
共有するとかいう前に、一緒に食べることができない。
その状態でずーとやってきたから、未だに親しい関係を持った人ができないのだと思います。
この考えがあっているとしたら、私が望む親しい関係を持つことが出来る人と出会うためには、“食べること”をいつでも、どこでも、誰かと一緒にできるようになれないといけない。
そう思うといつになったら親しい関係を持つ人と出会えるんだろうって、不安になります。
今の大学院の同期の人はみんな良い人で、本当はもっともっと仲良くなりたい、関係を深めたいって思っています。
でも、食べることをクリアしないと、もっともっと仲良くなることも関係を深めることも出来ないのだとしたら・・・。
もう、卒業まで半年も無いのに・・・。
短時間でクリアするなんて、今の私には想像出来ない。
甘えなのかもしれない。
弱いだけなのかもしれない。
だけど、今すぐに食べられるように自分を変えることに、心がついていかない・・・。
でも時間が無いのもわかっているから焦る。
焦る、でも心はついていかない・・・。
そんなことを悶々と考えています。
きっと最近、気になっていた花火大会に誘ってもらったけど、当日の誘いでもあったし、食事の問題もあるから断ってしまい・・・。
あーまたチャンス逃しちゃった、病気に負けちゃった、やりたいことより病気を優先しちゃった、と落ち込んでたこともあって、余計に悶々と考えているのかもしれないです。
食べること=病気、と向き合う。
私ちゃんと向き合えていないですね。
弱い自分が嫌になります。
時間だけが過ぎていきます。
なんだか着地地点がよくわからない感じになってしましいました。
自分の思っていることを整理して文章にするって難しいですね。
いつもめちゃくちゃなブログを読んでくださってありがとうございます。