昨今は、羞恥心を持たなくなったのか。恥ずかしいことを恥ずかしいと思わなくなったのか。
バカであることをひけらかしても平気どころか、それを売り物にしていたり(いや、クイズ番組のあの3人組自体は、嫌いではなかった。その後勉強したのか、どんどんよくなったし)。たとえ九九が言えなくても、恥ずかしいこととして、昔はそれを隠していたような。少なくとも、あからさまにはしなかったかと。芸能人なら大丈夫でも、サラリーマンとして仕事はやっていけないのではないかなと考える。大学も、昔は頭がいい人だけが行くようなイメージがあったが、今はレベルもいろいろあるようだし。
電車内での化粧とか。化粧は、他人に見せるものではないだろう。また、ポケットがないからかハンカチを持ち歩かないようで、トイレで、髪を直すふりで手を拭かずに出ていく女性とか(男性については知りようがない)。
公衆の面前でイチャイチャしているバカップルなどもいるなぁ…と母と話していて、「ほら、あのガラス越しの接吻の映画あったやん、タイトル何やっけ?」という話になった。調べると、1950年公開の『また逢う日まで』。戦中が舞台らしいが、私は見ていない。あのシーンしか知らないが、ああいう奥ゆかしさというか、抑えられない愛情はあるが、他人に見せつけるものではないという控えめなのが、個人的には好きだ。イチャイチャするなんて、こっぱずかしくて私には無理だ。
どうしても暮らしていけないならともかく…一生懸命働くよりも働けるのに働かず生活保護費をもった方が金額が多いし楽だからいいや、という人が増えたのも、世話になるのが恥ずかしいという気持ちがなくなったからなのかな、と思った。
知らないことを知らないと言うのは恥ずかしいことではないと思う。私は年齢の割には経験値が低いので、知らないことも多い。知らないときは知らないと言う。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。知ったかぶりをする方が恥ずかしいと思う。
岡田憲治さんの『言葉が足りないとサルになる』にも、“「アホと思われるのではないか」という恐怖心をもたらす何ものかが、潮を引くようになくなりつつある”と書いてあった。
手元にある角川書店『類語国語辞典』によると、“「恥」は、自己の悪い点を認めて恥入る意で、「羞」は、おもはゆく思うのが原義”らしい。
短大の入学式で、学長が「無知の知」と言っていたことを、不意に思い出した。