今日は、秋分の日。
東京にある両親のお墓参りには行けなかったので
須磨寺へ行き、両親の追善供養で
「十三佛・七福神巡り」をしてきました。
須磨寺は、京都の醍醐寺、仁和寺と同格の
真言宗のお寺なんです。
百人一首にある この句
“淡路島 かよふ千鳥の泣く声に
いく夜ねざめぬ 須磨の関守"
東京で、生まれ育った私は、早く東京に戻りたいと思っていたので、、子育て中は、気持ち的にもなかなか須磨まで足を伸ばすことがなぜかできなかったのです。
子育ても終わり、
自由な時間を得た今
私の“いち推し"の場所となりました。
今日で4回目の参拝です。
大人のリベラルアーツなブログ
娘が指定校推薦から一般受験に切り替えた時から
アメブロを読み、自分でもブログを書き始めました。
その頃からブログをフォローして
読んでいます。
ご長男さんと同学年。
息子さんの受験を伴走する父親として
素敵だなぁと思って読んでました。
娘が、「趣味の大学受験」さんの卒業大学を受験したいと言ったことがあり、、
そこからなぜかマジで読んでました。
(すみません、、勝手にリブログしてしまいましたー)
とにかく 「趣味の大学受験」さんの書かれる記事が私は、面白いのです。
でも、
ファンでありながら、「いいね」あまり押したことがないのです
🙇♀️
「いいね」を押したため万が一、自分の拙いブログを読まれてたら恥ずかしいと思ったので。
娘の受験終わっても読み続けています。
今回、リブログさせて頂いた記事の一つ前の記事の
カバー写真が
私の推しの「福山雅治」であったこと
そして、今日の記事が
最近、感じていたことへの答えのような記事で
リブログさせていただきました。
「趣味の大学受験」さんのブログで
「稲垣えみ子」さんを知り
話題となった
「老後とピアノ」を読んでみたり
W大学とK大学の記事とか、
T大の考察記事など
大学受験を終えて、就活に向かう娘を取り巻く環境を考察できて、非常に面白いのです
難関大学に合格させた母たちが
「まことしやかに」ランチタイムに話すような
内容も、見事な文体となり、表現されるので
たまりません。
文系の娘は京の都で、「東京」という巨大な組織集団を知らずに、、私からみたら、非常に幸せな大学生活を送っているので、、口を出さないけど、私が勝手に不安になるのです。
私の現在探求している
大人のリベラルアーツ
毎週、推しの福山雅治のラジオを聴き
耳からエンタメを通して人生をまるごと学び
「趣味の大学受験」さんのブログで
東京界隈の受験〜就職〜その後の生き方のリアルを考察できて楽しいです。
時代はAI により
急速に変化していますが
人として、生きていく上で
変わらない大切なものを求めて
大人なリベラルアーツ(大げさかな?)が始まった私です。
私の少ない脳力を伸ばしていきたいです。
四柱推命的な観点から漫画好きな家族を観る
「趣味の大学受験」さんの記事で、、
改めて確信したのが
夫も、息子も、娘も
「歴史まんが」が大好きであり
よく読んでいたということ。
そして
「漫画で学んだ歴史の点は、取れる」と
言っていたことを思い出しました。
特に夫は、全て漫画で学び
「山川の一問一答」も、漫画を読んでいるからわかると言い切っていた。
わからなくても、解答がイメージできると。
(どうでもいいけど、福山雅治氏も
「人生で大事なことは、全て漫画で学んだ 笑」と
ラジオで言ってました〜)
娘は、家にある漫画をさらーっと読んだだけだったので、
受験直前に 「山川の一問一答」は
「強引な暗記」に頼らざるを得ない状況になり、
そのことを夫は
哀れんでいたのです。
「人間関係が見えてないから、かわいそうに」と。
趣味で学んだ四柱推命
今も細々と課金なしで学び続けている
まだ、ブログで語れるほどのレベルではないので
あまり書けないのですが、
夫も息子も娘も
印綬
という「知性の星」を持っているのです。
この星は
とにかく勉強が好き。学ぶことが好き。興味あることをどんどん吸収したい。
本を読むことが大好きなのである。
そして、その知識を人に与えて、リスペクトされたいらしい。
偏差値という概念を超えるはまり方です。
ハマるものを間違えると非常に危険と、私は
思っています。
一時期、夫も息子もスマホにハマり
家族の顔を見ないでスマホ画面を見ながら話す事態になったことがあった、、
その状況にブチ切れた私。
古代中国の時代は、分厚い書物を読み耽る
(重い、どこでも手軽に読めない)
現代社会では、情報の宝庫であるスマホで読み耽る
(どこでも、手軽にスキマ時間に読める)
と、視点を変えて
家族の危機を乗り越えたことがあります。
また、
墓という星も3人とも持っています。
この星も、
深堀りするオタク気質。
そして古い神社仏閣や歴史などに魅かれる
先祖の想いを引き継いでいく。
でも、夫には、「先祖の想いを引き継ぐ」気持ちなど全くないのです。
そのことが、今後、どんな展開になるか、、
色々とありそうです、、
そんなのも関係あるのかな
面白いなぁと、、
私には、無い「個性」の人たちです
だから理解に苦しむのです
歴史を学ぶ知ることは
「人の人生をたどる」こと
人生において自分が、経験しえない
明らかに「目に見えない」豊かさが
あるのですね。
須磨寺の帰り
海の見えるカフェでのアサイーボウル

