2025年 

今日はS株で初めて株を買ってみました。

コツコツと買って行くのですが、

どうなることでしょう〜



 世界にほこった技術


昨年末に広島県に訪問した記事です。


呉市海事歴史科学館

大和ミュージアムへ


新幹線を広島で下車


JR広島からJR呉線で30分

なんと呉駅の電車の発車時の音楽🎵は

宇宙戦艦ヤマト〜でした。



2月17日から約1年休館するとのことです。





1945年4月7日
絶対に沈まないと思われていた

日本が世界に誇っていた史上最大・最強の戦艦大和は海に沈んだ。わずか3年半の生涯だった



今回、知覧→呉と時期的には時代を遡るかたちでの訪問となりました。



当時の日本の技術と知能の英知を集結した

戦艦大和


その10分の1の模型を間近にみることができました。

この模型でも、全長26.3mあります


実物は 全長263m 最大幅39.8m






ボランティアガイドの方が館内を1時間かけてダイジェストで説明してくださいました。


私がお話しを聞いた方は、スケッチBOOKに解説資料を貼って手作り感満載の説明をしてくださいました。

おそらく、理系のエンジニア?と感じさせる方でした。

男性高齢者の活躍、素敵だなぁ




大和に関する数字にまつわる質問をたくさんしてくださいます。

「そちらのお父さん、どうですか?」と目が合うと当ててきます(笑)

でも、みんな答えられませーんニコニコ




問題です

「広島県出身の首相は?4人います!」


品の良いおばさまが当てられ、回答されました。

3名ほど答えました。

こういう時にさりげなくすらすらと答えられるって、かっこ良かったです。



(答えは後ほど〜ニコニコ





感動したのは、下矢印

丸みを帯びた「球状艦首」

このフォルムが波の抵抗を減らすということで

現在の造船技術の元となったそうです。


宇宙戦艦ヤマトは、この「大和」をモデルにしているとのお話でした。


後方はスクリューが4つ。

最初は2列で前後に2つ設置していたけれど、1つが攻撃されるとその後ろもダメになってしまうので、この配置に改良されたとのことです。戦時中にも日々技術革新や開発などしていたのですね。




展示の中で「従事する人への健康への配慮」(保健のしおりという帳面が展示されていました)や賃金などの処遇に対する「給与明細」や年金の掛け金の金額がかかれたもの。また技術者を育成する教育システムに関するものが興味深かったです。


この頃は「人材をとても大切にしている」と感じたからです。



「見てください!停留中の船の先端も丸みを帯びてます」と

遠すぎてよくわかりません凝視



様々な展示を通して

「大和ミュージアム」では、感じる

ものがあるのです。 


当時の製図を見ました。

もちろん、手書きです。

その精緻な図面に言葉を失います。





もちろん、戦争の悲惨な現実を知る貴重な展示なのですが、全長263メートルの戦艦大和という日本の「技術」や「英知」にフォーカスされ、それが、戦後の産業発展へ生かされているということで、、




知覧で感じるものとはまた別でした。







今も私たちが知っている企業の前進の技術を知ることができました。


日本光学工業株式会社(現・ニコン)

日本光学は日本軍との関係が深く、ライフルの照準器や望遠鏡など、軍事用の光学機器(光学兵器)を数多く生産した


第一製砥所(現・ディスコ)

戦艦大和の建造で知られる呉海軍工廠があり、日本一と言われたハイテクのメッカで製砥業も栄えていたのだ。同社は「切る・削る・磨く」を中心とした技術を中核とした製品を製造する半導体メーカー


その他、石川島播磨重工業、神戸製鋼、三菱重工などの企業名を展示物より目にしました。

(荏原製作所、ダイキンもあとで調べてみたら出てきました)

他にも当時、たくさんの会社が設立されて、活気ある街だったと感じられました。




小学生の時に、プラモデルで軍艦をたくさん作っていた夫が「10分の1の大和」を一度見てみたいとのことで来てみました。








明日は、平和記念資料館です。




(答え)

池田勇人・宮沢喜一・岸田文雄

そして答えが出なかったのは、加藤友三郎でした。




この休みに夫と鑑賞しました。

戦後60年記念作品。

もう、20年も経つのです。

反町隆史さん、中村獅童さん、松山ケンイチさん、蒼井優さん、

彼らが演じていることを忘れてしまうくらい、没入してしまいました。