なんとも衝撃なタイトル。

莫大な財産を築いたからこそ、その蓄財方法や
暮らし方、生き方を『告白』したくなるものです。

この分厚い本。時代は明治大正時代の話です。
後世の万人にも波及し幸せな人生を生きていって欲しい。先人のそんな思いがつまりまくった本でした。

今回読んだのは、
《私の財産告白》
《私の生活流儀》 
《人生計画の立て方》 
この3冊の合本版です。

現代であればFIREした人がその資産形成法をyou tubeやブログで公開したりする感じかしら
たくさん素敵な生活を送っている様子を、知ることが出来るのは、とても参考になります。

今回は、敢えて「書籍」で体験してみました。
ページに綴られた生活習慣や人生の楽しみ方、生き方。これを長期に渡り計画して真剣にに取り組む生き様を、細部に渡り赤裸々に語るのはなかなか勇気がいります。まさに「告白」です。

本多静六氏は、1866年生まれ。
1952年(昭和27年)に85歳で逝去されるまでの人生記録です。

もう、私には両親もいないし、親族もほとんど他界していて、私に人生経験や人生観を話してくれる人はいないのです。私の両親はお互い末っ子。私より人生経験豊富な人はもう身近にいないのです。
(あ、夫の両親は現在です!)

そんな私に、もし本多氏が自分の祖父で明治〜昭和という時代を生き抜き財を成して、でも、その財産は「お前たちにはやらない。寄付をする」と言ったらどう思う?そんな気分で読み進めていきました。

本多静六氏は、学者でありながら、その専門分野での情報を元に、「山林投資」をして財産を成しています。月給4分の1天引き貯金で元手を作り、投資します。そして「十割益半分手放し」で利益が出たら半分売却して利益を確定し、また投資。
そして莫大な全財産を築き、それを全て匿名て寄付されました。 

幸福とはなんぞや
どんなに経済的に豊かになっても幸せの本質がみえないと、満たされないと述べています。
資産形成し続けて財を成したその後のお金との向き合い方は人それぞれだと思います。莫大な資産を得て感じる幸せとは?また不安とは?

幸福は自分自身の努力と修養によって勝ち得られ感じられるもので、親が与えらるものではない。ただ教育とか財産さえ与えてやればそれで達成できるものではない。
「世間で最も大切と言われる財産だけは子供に残す必要は全く不用」と言い切ってます。

時代が違いすぎて、進路選び(秀才の場合、凡人の場合など)、結婚や子作り、大学選びの頁は辛辣で少し違和感があります。現代では「はっきりと本音」は言わない風潮です。でもこういう考えが知識階級の人には、当たり前。家系や血筋を守るためには必要なことだったのです。時代は変われば考えも変わります。でも学歴や結婚相手選びは変わらない部分もあるのかもしれません。

私の父が言っていた事を思い出しました。
父はよく私に「俺の生き様を本に書いてくれ」と言ってました。何故、自分の生き様を遺したいのか当時はわかりませんでした。 
ファミリーヒストリーは、誰かが伝えていかないと何も残りません。
だから私もブログを書いているのか、、

長いので、この辺で。また続きます。