言う・云う・曰う の訳について 2023.4.15
旧唐書日本国伝、新唐書日本伝で特に目に付く表現がある。
以下、赤字と太字は筆者による。
旧唐書の日本国伝の冒頭にはこう書かれていた。
旧唐書 (原文)
日本国者 倭国之別種也 以其国日辺 故以日本為名 或曰1 倭国自悪名不
雅 改為日本 或云2 日本舊小国 併倭国之地 其人入朝者 多自矜大
不以実對 故中国疑焉 又云3 其国界東西南北数千里 西界南界咸至大海
東界北界有大山為限山外即毛人之国
(訳文)
日本国は倭国の別種である。その国は日の出の場所にあるので、日本と名付け
た。 あるいは曰う1、倭国は自らその名が雅でないのを嫌い、改めて日本とし
た。 あるいは云う2、日本は昔、小国だったが倭国の地を合わせたと。そこの
人が入朝したが、多くはうぬぼれが大きくて不誠実な対応だったので、中国はこれ
を疑う。また、その国の界は東西南北に各数千里、西界と南界はいずれも大海に
至り、東界と北界は大山があり、限界となし、山の外は、すなわち毛人の国だ」と
云う3。
新唐書の日本伝にはこう書かれていた。(新唐書では「日本伝」となっている。)
咸亨元年 遣使賀平高麗 後稍習夏音 悪倭名 更号日本 使者自言4 国
近日所出 以為名 或云5 日本乃小国 為倭所併 故冒其号
使者不以情 故疑焉 又妄誇6 其国都方数千里、南西盡海 東北限大山
其外即毛人 云7
(訳文)
咸亨(かんこう)元年(670年)、遣使が高麗平定を祝賀。使者が自ら言う4には、後にやや夏音(漢語)を習得し、倭名を悪み、日本と改号した。国は日の出ずる所に近いので国名にした。 或いは云う5、日本は小国で、倭に併合された故に、その号を冒すと。 使者には情実が無い故にこれを疑う。また、その国都は四方数千里、南と西は海に尽き、東と北は大山が限界となりと妄りに誇る6。その外は毛人だとも云う7。
訳し方によって意味が大きく異なってしまう場合がある。
ここでの話は日本語の問題、日本語訳で起こりやすいトリックがあるという問題である。
次の日本語を英語にしてみよう。
1. 彼は“私の名はトムだ”と言う。
He says, “ My name is Tom.”
2. 彼は自分の名がトムだと言う。
He says that his name is Tom.
ここでの 言う、says に当たるのが、旧・新唐書における 言う、云う、曰う である。英語での直接話法・間接話法の表現に近い。古代中国語(漢文)に直接話法・間接話法を明示する形式は特にないのだが、内容としてそう解釈できる。
それでは、次の日本語は英語にするとどうなるのか。
3. 彼の名はトムという。
His name is Tom.
ここでの「いう」は「言う」「says」ではない。
彼の名はトムだ(です・である)、にしてもよい。言いかえると、筆者、話者の断定、あるいは事実認識を表現している。
したがって、旧・新唐書の 言う、云う、曰う を3の場合のように いう と訳してはいけないことになる。第八章でも強調したことだが、旧・新唐書の 言う、云う、曰う は、上記の引用の 太字 の全体を包含している。日本(国)の来訪者の主張内容であり、いわば 直接話法・間接話法 の発言内容、伝達・報告内容なのである。
ところが通常、この 太字 の発言内容が、唐の事実認識である、だから日本(国)やひいては倭国の真の姿を語っていると解釈されてきた。しかも定説派であろうと非定説派であろうと。 言う、云う、曰う が無視されたり、 言う、云う、曰う の係る部分がどこなのかを不明なままにしたりしてきたのである。まるで、 言う、云う、曰う を 彼はトムという の いう と同じ意味であるかのように。ある場合には無意識のうちにあいまいに訳す、あるいはまた意図的に誤訳したりする。
要するに、太字部分 はすべて日本(国)から伝えられたことだ、その多くは真実かどうか疑っている、というのが唐の真に語っていることだったのである。