続 第八章 旧唐書と新唐書の間 その4

     

  大和岩雄氏は古田氏を新唐書を読まずに、旧唐書だけで「九州王朝説]

を論じているとおよそ次のように批判している。

 古田武彦氏は、『失われた九州王朝』で、なぜか旧新『唐書』のうち『旧唐書』 だけをとりあげ、『新唐書』はまったくとりあげていない。『失われた九州王朝』のために、『旧唐書』を最大限に利用するなら、当然『新唐書』にもふれるのが、「資料性格上」の常識である。・・・古田説にとって都合の悪い『新唐書』は倭と日本が別種であることを強調していないが、これをを無視して、『旧唐書』のみをとりあげて自説を主張しても説得力はない。(「日本」国はいつできたか 大和岩雄 大和書房 P.41~42)

 また、『唐暦』、『通典』などで倭国の別名が日本国として紹介されていることを

基に(同書P.42~43)倭国と日本国が「同種である」ことを強調して、古田氏の批判を続けている。

 

 大和氏によると新唐書が「倭国と日本国が別種」と書いていないのは、倭国と日本国とが「同種」であることを認めたかのような書き方である。したがって、新唐書がまるで定説派の助け船であるかのような口ぶりである。

 第八章でもすでに述べたことでもあるので簡潔に進めよう。

① まず、はっきりしていることは、新唐書は旧唐書の「別種である」を撤回したわけではない。撤回はどこでもされていない。「別種」であることは唐王朝が自分の判断で認識し、断言したことであった。旧唐書の日本国伝、新唐書の日本伝で書かれた有名な「中国これを疑う」の対象にはなっていないのである。旧新で唐朝の認識が変わったわけではない。

 ところで逆に大和氏は当然のことながら、氏にとっては不利になるはずの旧唐書で、何故「別種」と書かれたのかを説明しなければならなかったはずだ。だが、それはされていかった。大和氏は旧唐書から逃げたことになるのではないか。大和氏も「都合の悪いことを無視した」ことになるだろう。

② 第八章で述べたように、新唐書は日本国の自己主張を記述する傾向にあっただけである。そのことを古田氏も認識していなかったのだが、大和氏もその重要な傾向を見逃していたと思われる。

この私の見解に対して、定説の立場の研究者は反論を試みてほしい。