このブログは乳癌になって、自分の備忘録のためと、私も乳癌経験者の方のブログに励まされたり、参考にさせて頂いたりする中で、自分の闘病の過程やその中で思うことなどを書くことで乳癌サバイバーの方や乳癌後輩さんたちの参考になればいいなぁと思って始めました。


だから闘病に関することだけをブログに書こうと思っています。今日ここに書くことは少しその意思とは違うかもしれないけど、乳癌サバイバーとしては始まったばかりの私を支えてくれた存在だったので書こうと思いました。


長くなりますが、お時間あるときに読んで頂けると嬉しいです。


先週の土曜日(914日)に我が家の愛猫にゃーちゃんが旅立ちました。

911日に抜歯の手術を受けて、家に帰ってきたのですが、全然良くならず、むしろ悪化してきて、13日夜に救急に連れていき、注射と点滴をして帰ってきました。でも翌朝、起きて様子を見ると明らかに意識朦朧としていて、にゃーにゃーうわごとを言いながらふらふらしていて。

10時半に姉と病院に連れていき、私はその足で父を病院に連れていきました。

父の病院についてわずか30分、にゃーちゃん死んじゃったよという姉からの連絡が入って、思わず待合で父に向かってにゃーちゃん死んじゃったってと声をあげてしまいました。

動物病院で姉とにゃーちゃんを降ろした時、私は咄嗟に『にゃーちゃんバイバイ」と言いました。いつもなら頑張ってっていうのに、無意識に察していたのかもしれないです。


手術の日、何故入院させてくれなかったんだろう、金曜日も何故帰されたんだろう、土曜の朝も何故早く起きて気づいてあげられなかったんだろう、一番苦しんでいたかもしれないと思ったら悲しくて悲しくて土日は泣いてばかりいました。

病理の結果が出て散々泣いて、1クール目の抗がん剤が終わって、少し気持ちも整理出来つつあった矢先。。また涙に戻ってしまいました。


にゃーちゃんは12歳5ヶ月。ここへきて歯のトラブルで病院へ行きましたが今まで病気もせず、とても元気で世話を焼かせない子でした。

この12年間、我が家はにゃーちゃん中心でした。家族の仲がゴタゴタしても、にゃーちゃんの存在が癒してくれたり、険悪になって言葉を交わさなくても、必ずにゃーちゃんにだけは皆んなが挨拶をするという、小さな存在だけど、大きな影響力があるにゃん子でした。

乳癌になってからも、誰にも吐露できない気持ちもあり、そんなときにゃーちゃんを撫で撫でして気持ちを落ち着かせたりしていました。

本当に悔しくて悲しくて命って本当に儚いんだなぁと感じました。


明日という日は生きているもの全てに平等に来るわけではない。20年も前ですが、祖父が心筋梗塞であっけなく亡くなった時、私は明日より今日を意識して生きるようにしようと思いました。私に明日はないかもしれない、だから今日という日を感謝で終われるようにしようと。

でも最近の私は忙しさに流されてばかりで、その気持ちを忘れてしまっていました。にゃーちゃんがその気持ちをまた思い出させてくれました。


我が家に来て12年。

私がシングルになって実家に戻った同じ年の同じ月に我が家に来ました。同級生です。私が病気になった今年、にゃーちゃんは旅立って行きました。私の人生も次のステップに進む時なのかなぁと思いました。亡くなった翌日は姉が仕事だったので、私1人で火葬に立ち会い最後は抱っこして火葬車の中に入れてお見送りして骨上げしてきました。


もっと猫のことを勉強していれば違う治療法があったかもしれないのに、癒してもらうばかりで何もしてあげられなくてごめんね、にゃーちゃん。最後苦しいのによく頑張ったね、12年間沢山沢山ありがとう。

産まれ変われたらまたうちの子になって戻ってきてね、にゃーちゃん😸


*長くなってしまいました。お読み頂きありがとうございました*