今年もGWがあっという間にに、過ぎていきましたー。
みなさん、どんな連休でしたか?

私は連休の最後に奈良に行ってきました。
今回は、奈良の平城宮跡に行きました。








大極殿や朱雀門、それから塀や役人たちの働いた役所などが復元されているけど、
それ以外はなにもなく、広ーい敷地が続く平城宮跡。
復元していない柱の跡は、木を植えてわかるようにするなど、工夫もこらされていて、
各所におられるボランティアの解説員さんもとても親切でした。
平城京の大きさ、これだけの都をつくることができた当時の大和朝廷の姿を垣間見たような気がして、
ほんとにすごいことだと、思いました。








大極殿の中には高御倉も作ってあり、ものすごく豪華。
そして、天井の絵のみごとなこと。

この絵は日本画家の上村淳之画伯が描かれたものだそうですが、
四方を守る四神すら、あたたかく、やさしく感じます。 
またその上に蓮の花がたくさん描かれていて、
これがすごくきれい!







自分の生活のすぐそばにおいておきたいような、すてきな紋様だと思いました。

広い原っぱで走り回って遊んでいる子どもたちもおり、
時の流れのおもしろさも感じました。

さて、今回行けてよかったのは、ここだけではなくて、
近くにある「長屋王邸宅跡」に行けたことです。





長屋王は、天武天皇の孫にあたり、父は天武天皇の皇子である高市皇子、
母は天智天皇の皇女の御名部皇女(元明天皇の同母姉)。
皇族の中でも地位もあり、活躍していたのですが、
対立する藤原氏の陰謀といわれる長屋王の変で自害したと言われます。





そして何がすごくて行ってみたかったかというと、
この場所。
奈良そごうの建設のために昭和60年から発掘調査がされて、
なんとここからざっくざっくと木簡が出てきたのです!!
その数なんと四万点!!
そして、その内容からここが長屋王邸宅跡であることがわかったとのこと!

その内容も、長屋王の豪華な生活が透けて見えてくるようなものの数々。




日本各地から取り寄せられた豪華食材。
役人たちの仕事内容。
など、具体的な様々な内容で、
それまでにない大量の木簡という「文字資料」のおかげで、
当時の王家の暮らしぶりがよくわかるのだそうです。

またこの長屋王邸宅の広大さ!





この右側の道路のあたりから
左は向こうの高架の向こうまで。





こーんな邸宅が建っていたそうです。
平城京のすぐそばに、
こんな広大な邸宅があったんだなぁ。
ここから遠くに朱雀門や大極殿も見えそうなところです。
今はビルが建ってしまっていて、想像するしかないのだけど、
あの高架の向こうはもう平城宮なので、
ほんとに重要な皇族に近い存在だったんだろうな。
なのに、政治の裏側の陰謀で自害に追い込まれた。

どんな人だったのかなぁ。
どんな思いだったのかなぁ。

父である高市皇子は、天武、持統天皇の世で草壁皇子、大津皇子に次ぐ位置の皇子。
壬申の乱でも活躍した飛鳥時代の英雄。
長屋王も左大臣まで務め、地位も確立していたのに、
「天平元年、国家を傾けるの意ありと訴えられ、自尽を賜う。」(懐風藻)





懐風藻に載っている詩からも、長屋王の生活が見えてくるような感じがします。


元日の宴 詔に応ず

年光 仙ぎょ(竹冠に禦 )に 泛(うか)び
日色 上春を照す
元圃 梅すでに放き
紫庭 桃新たならんとす
柳糸 歌曲入り
蘭香 舞巾を染む
ここに三元の節
ともに悦ぶ 望雲の仁

どれほど、豪華な生活を、
どれほど、多くの人たちとともに過ごしていたんだろう。


貴重な文字資料である木簡は、他の遺跡もあわせて国内全部で20万点くらいだそうですが、
そのうちの11万点が平城宮跡と長屋王邸宅跡から出ているということです。
それだけ、木簡から見えてくる情報が素晴らしく多い!

彼らの生活がよりクリアに見えてくるような気がして、
昔々の人々に出会い、話を聞けるような気がして、
わくわくします。