近頃ネットを眺めていて、

気になる事があります。

 

いろんな方が様々な情報を発信し、

多種多様な意見を述べていらっしゃいます。

それを拝読するのはとても楽しいし、

新しい事を知る切っ掛けをいただいたり、

また時に学ばせていただいたり。

中には読みながら、

「うんうん、そうなんだよね!」と

強く共感同意したりするものもあります。

 

自分が良いな面白いなと思ったものは、

他の方にも知ってほしいと思うのは、

当然の人の心の動きのひとつで、

TwitterではRT Facebookではシェア

そしてこのアメブロでは

リブログという機能ができた事でも

明らかでしょう。

 

けれど、最近の傾向として

私が気になってるのは、

 

自分の意見の代弁として

他人の書いたものを使うこと

 

が、あまりに乱用されているということです。

 

先ほども書いたように、

ネットを眺めていれば、

「そう!私もそう言いたかったの!」

という記事に出会うのは

しょっちゅうあることですし、

それを紹介したいという善意は素敵な事です。

 

けれど、自分の持つ、

何かに対する不満や嫌悪を

自分自身の言葉で語るのではなく

「誰かの書いたもの」によって代弁させる行為が

あまりにも多いように思います。

 

 

勿論、時には、うまく言葉にできなかった思いを

適切に表現しているブログ記事などに出会って、

それを紹介したい!という事は、当然ある事だと思います。

しかし、四六時中そればかり繰り返しているのは、

なんだか私には少し違う気がします。

 

まるで、小学生の子どもたちが何かを言う時に、

「お母さんが言ってた!」とか、

「先生がそう言ってたもん!」という、

あの雰囲気に似たものを、なんとなく感じるのです。

 

そう、平たく言えば、

「他人の意見に乗っかる」行為をすることにより、

自分を傷つかない安全圏におきたいかのように

感じられるのです。

 

 

これは、何もネットだけでなく。

普段の生活の中でも、

昔からそのような人はいたでしょう。

さらに言えば、

漫画やアニメやドラマなど創作の世界でも

ひとつの作品に1人はそのようなキャラが

出てきたように思います。

 

つまりそういう人は

社会の中に一定数はいたということです。

 

 

しかし、ネットというもの、

そしてSNSというものが浸透し、

私達は「意見」を述べるという事について

新しい局面を迎えました。

ここでは、誰もが「発信者」です。

 

 

そしてその発信したものは、

一度ネットの海に浮かべてしまうと

削除してもなんらかの形で復元されたり

削除する前に魚拓を取られていたりするなど、

もはや二度と言わなかったことにはできないのだと

(またはそう考えるほうが無難なのだと)

私達は学んでいる最中です。

 

 

そう、「無難」。

 

非難されたくない。

 

無意識にあるそういう思いが、

私達から「主語」を奪って行き、

「自分の言葉で語ること」をせず、

「他人の意見を使って代弁させること」を

乱用させてしまうのではないでしょうか。

 

 

それは、例えば、過去に私が書いたような、

「高次の存在が言ったのであって、

私が言ったんじゃないんだから」と、

伝える者の責任を初めから丸投げするような

そんな姿勢と同じではないでしょうか。

 

 

勘違いをしていただきたくないのですが、

私は、シェアやRTやリブログが

ダメだと言っているわけではありません。

良いものはどんどんシェアしたいのは当たり前ですし、

自分と同意見のものを拡散したいと思うのも

当たり前の感情です。

ご存知の通り、私自身もメモ代わりに、

TwitterのRTやFBのシェアを

非常に多用するタイプです。

 

 

私が今ここで問題だと感じているのは、

一見自分で語っているようにみせかけて、

他人の言葉を四六時中使う行為なのです。

 

 

私はこう思います。

 

もし、私達がプロであるなら、

良いものを広めたい思いとともに、

その良いと思うものを、

自分自身の言葉で語る重さも

引き受けていくべきではないだろうかと。

まして、何かに対する反対意見を述べる時には。

 

 

2016年の今、日本は、

感情的同調同意というものが、

大変な力を振るっています。

その巨大な力はいっそ恐ろしい程です。

このような時だからこそ、

逆に「私が」という主語が、

とても大切なのではないだろうかと感じます。

 

そこにその人の「実態」が、

隠れているような

そんな気がするのです。

 

 

僻み、嫉み、被害者意識を

美しい言葉で書き換えても、

他人の言葉を借りて代弁させてみても、

私達のみすぼらしい心と

浅ましい姿をより際立たせてしまうだけ。

 

 

強力なその力の波は、

良くも悪くもどちらのものも

乗せて動いていくでしょう。

 

 

世界を美しく変えて行く波を

どうせなら作っていこうではありませんか。

 

 

自分の姿を直視して。

誰かに責任を被せないで。

 

しっかりと大地を踏みしめて。

世界を洗う波に流されぬように。

 

 

いつも明るいものに

顔をむけられるように。

 

 

 

 

 

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