賛否あると思いますが、言わせて下さい。
いまだに、殺す為に飼ってるくせにとか・・・
とおっしゃっている方が居るようで、心が痛むというかなんと言うか・・・・
「ワクチンの賛否」でも書きましたが、
牛たちに、もう本当に愛情を掛け、家族のように育てています。
殺すために飼っているのではありません。
みなさんに、美味しく食べて頂くために、
みなさんの、血肉となってもらうために、
飼っているんです。
もちろん、私たちが生きていくためでもあります。
しかし、ただ殺すためなんかに飼って居る訳じゃないんです。
そこの違いを理解して頂きたい、と心から願います。
そして、ただの商品として飼っているわけじゃない事も理解して頂きたい。
物凄く、愛情を掛けて育てます。
私の家は、牛の繁殖をやっていますが、当然全ての出産が上手くいく訳ではありません。
種付けが上手くいかなかったり、
上手くいったとしても、死産。と言う事もあります。
当然です。
だって、牛は機械じゃない。
生き物です。
そして、死産となった時、私たち農家がどう思うか分かりますか?
○○万円の損失だ・・・・・だなんて、思う人そうそういません。
少なくとも、家はそんな風には思いません。
思うにしても、色々な事がすんでから、経営方針を考えているときくらいです。
ごめんね。
もっと早く気付いてあげればよかったね。
もっと、早い段階で引っ張りだす決断をすればよかったね。
何かストレスになるようなことあったかな・・・
等々、考えても仕方ないのですが沢山の後悔・反省をします。
死んだ子牛に申し訳ないと・・懸命に生んだ母牛に、心の底から申し訳ないと思います。
以前、母がぽつりと漏らした言葉で印象的な一言が有ります。
その子牛は生まれたはいいのですが、体か弱くしばらくの後死んでしまいました。
母は、その子のそばで、その子牛の死に際に立ち会いました。
「綺麗やった。」
母は、言いました。
「目が、綺麗やったがよ。
光がすーってねぇ、消えてく瞬間。
本当に、綺麗で・・
あんな光景は、初めて見た。
きっと、お母さんにあん光景を見すっために、あん子は生まれたとよ。」
そう、母は言いました。
言葉が出ませんでした。
私自身、何度か死産を見たことが有りますが、
涙目の母に、でも決して泣かない母に、かける言葉が有りませんでした。
私たちは、命の重さをしっかりと思いながら農業をしています。
愛情を注いだ分だけ、牛たちは答えてくれます。
だからこそ、良い牛を育てよう。
この子が、美味しいって食べてもらえるような子に育てよう。
肥育農家の方に、可愛がってもらえるような、認めてもらえるような、
そんな子に育てよう。
そういう風に、思うんです。
母は、もう本当に強い人で、泣くなんて事のない人です。
その母ですら、初めてのセリの時は泣いたと言いました。
遠くに、手の届かないところに行ってしまう、子の事を思って泣きました。
笑いながら母は、
「岐阜なんて、あげな遠い所に貰われたから泣いとよ。
知らん子と一緒に、あんな距離を一人で行かんと、いけんのよ。
お母さんですら、行った事ないのに、心配せん方がおかしいがね。」
そう、気恥ずかしそうに言いました。
色々と、言っている方のおっしゃる通り家畜は商品です。
お金になり、お肉になり、そう言う事前提で育てています。
しかし、ソレだけではありません。
ご理解いただけないかもしれませんが、家族なんです。
ですから、どうか簡単にそんなこと言わないで頂きたい。
どうしても言いたいのなら、同じ考えを持った同士の会話の中でして頂きたい。
しかるべき所で、十分議論して頂きたい。
わざわざ、苦しんでいる方に向けてそのような事言わないで頂きたい。
私のブログに来て頂いている方は、本当に優しい方ばかりで、
わざわざこんなことを書かなくても分かって頂けているのだと感じますが、
やはり、書きたかった。
結局、自己満足です。
そのことが、やはりなんだか悔しいです。
ですが、やはり私には、こんなことぐらいしか書けなくて・・
うん。
もっと、勉強すべきですね。
その他にも色々。
そして、方言書くとなんか違和感です(笑)
いつも使っているのに、変ですね。
書いてみると、イントネーションの問題でしょうか・・
分からない言葉が有れば、お気軽に言って下さい。
なんだか、まとまりませんが、最後まで読んで下さった方ありがとうございます。