1896年5月、クララ・シューマンが亡くなり、クララを偲んで急遽、作曲された最後の作品。
というのはブラームス自身、肝臓ガン(膵臓がんとも)を患っており、最後の力を振り絞って作曲した遺書ともいえるオルガン曲。
その作品は11曲からなるコラールの編曲でクララを偲んだとはいえ、自らの死期を悟ったかのような告白つまり懺悔を表しているような作品に仕上がっている。
その8曲目に、「咲きし一輪のバラ」というタイトルの曲がある。
これは「エサイの根より」というアドベントつまりクリスマス前🎄に歌われるキャロルで、イエスキリストの誕生を祝う歌。
でもなぜ、ブラームスは5月にクララが亡くなって1ヶ月も経たない内に作曲した作品にアドベントの歌を挿入したのか?
なにか意味深なものが隠されている匂いがプンプン。
バラ🌹に主人公の音をあてはめていると推測できる。
ということは、バラ🌹は主イエスのメタファーではなく、半音下げて生身の人間つまり自分自身を表しているのではないかと推測する。
ここで、エサイの根について、エサイとは王ダヴィデの父のこと。
エサイの根とは、ダヴィデの王国が滅んだ後、その子孫がメシアとなって復興を果たすということをエサイの切り株から新たな芽が生えることに例えている。
ダヴィデの子孫が滅んだ王国の復興を果たす。復興を果たすメシアがイエスキリストであるとイザヤの預言にある。そしてその新しい芽=メシア イエスキリストを一輪のバラ🌹に例えている。
以上のような内容であるが、ダヴィデの王国の復興は、そういえばブラームスに課せられたミッションでもあったはず。
Davidsbündler
ダヴィッド同盟のメンバーとして最後の報告を行った
美しい一輪のバラ🌹が咲いた。
命のように尊い。
その思いを曲に託した。
ガンに冒されながらも、美しく尊いバラ🌹の花のような存在を自分自身に見出すことができること自体が尊いといっても過言ではない。
ブラームスが目指していたもの、表面的に取り繕ったり飾り立てたりするのではなく内面からにじみ出る本物の輝き。
この最後の作品が完成した翌年、ブラームスは天国に召される。
ガンに冒されながらも生命の尊厳をこの素朴なオルガン曲に託しているようで、適度に調子の狂ったピアノで弾いてみた。