シューマン アベッグ変奏曲 奇想天外な現実的解釈 | 芸術書きとどめ帳
アベッグ変奏曲は、シューマンにとって記念すべきデビュー作にあたります。
といっても、音楽家としてデビューして最初に出版された作品であって、幼少の頃から家族に宛てて曲を作ったり、ギムナジウム時代には音楽会向けに曲を作ったりしていたようです。
 
ところで、アベッグという言葉ですが、これはアルファベットでABEGGと書き、何を表しているかというと、この作品を献呈した人の名前で、パウリーネ・V・アベッグ伯爵夫人(Comtesse Pauline v. Abegg)の名前からとられています。ところでこのABEGGという文字ですが、この作品では音名を表しており、[A(ラ)-B(シのフラット)-E(ミ)-G(ソ)-G(ソ)]の音を旋律に使って変奏曲を作曲しています。
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 A   B   E   G    G

 
 
西洋音楽においては音名にあたるアルファベットを抜きだして、それを旋律等に用いている言葉遊び的な曲が伝統的にあり、これを「ソジェット・カヴァート(Soggetto cavato)」といいます。シューマンだけでなくJ.S.バッハも自分の名前BACHを用いて曲を作っています。
 
また、アベッグ伯爵夫人については実は実在していない人物だそうで、1833年4月5日の友人宛の手紙には、「・・・伯爵令嬢のパウリーネの父親は僕だということで驚かないでしょうか。・・・」(wv s.3)と、シューマン自らが創作した架空の人物であることを告白しています。
ではいったいこのアベッグという名前はどこから来た誰なのでしょうか?シューマンはかつて複数のアベッグという名前の人と接点があったようで、一番有力なのが、ハイデルベルク大学時代に交流のあった伯爵令嬢メータ・アベッグといわれています。シューマンと同じ1810年生まれで友人を通じて知り合ったようです。
 
このアベッグ変奏曲は1830年に作られていますので、シューマン二十歳の頃、まさに青春を謳歌していたころの作品といえます。シューマンの特徴としては、ヘルマン・ヘッセも言及している様に、「永遠の青春」がその作品につまっているところです。きらきらと輝き光に満ち溢れた青春そのものが作品の数々に詰まっています。未来に向かって一筋の光が指し示しているかのように屈託のないエネルギーに満ち溢れた一直線に進んでいく勢いを含有しているといえます。
だから、その解釈も「青春」をテーマにする以上、若く勢いがあってパワーあふれるエネルギーを感じさせるような解釈にしないといけないのかもと思い、よって19世紀的な解釈では古臭いというか、そうなってしまうし、なによりも私は19世紀には存在していなかったので知りようもないし、ということで21世紀の最新のトピックを取り上げて無理やり「青春」を感じられるような解釈をしてみることにしました。
21世紀といえばナノ単位での世界が明らかになってきて、目に見える表面上だけでは生命を捉えられない、目には見えない非常にミクロな世界での生命観を捉えていかないといけない時代になったので、この青春の主体である1個体のミクロな世界での生命観に焦点をあてて考えてみました。21世紀のトピックスはやはりエピジェネティクスだと考えられますので、エピジェネティックな感じを目指したいのですが理解の程度が足切り寸前なのできっと大幅にずれた感じに解釈してみようと思います。
 
先ほど述べたように、この曲は「ABEGG」という5文字を主題にして作られています。変奏のうち最初の主題に関して言及すると、出だしのABEGG動機を変奏として提示しており、さらに一番初めのA音の次にB音(シのフラット)が続きます。これは半音進行といって二度音程の動機を軸にした変奏をしており、二重の変奏手法を用いるといった*1とてもユニークで込み入った変奏を用いています。ここで二重という言葉にピントきてしまいました。そしてA音以下すべての右手は終わりまでオクターブの和音で奏されます。これをオクターブ奏法といいます。またもや二重がでてきて引っかかる。
さて、ABEGGの動機が下行しながら4回繰り返され、属七の和音が主和音に解決するかたちをとっています。*2 そして同じ下行がまた4回繰り返され計2セット奏され、ここでも二重が形づくられています。この2セットを前半部分とし、さらに今度はABEGGの音型が逆さまに反転して、GGEBAとなり、G音を頭に上行しながら4回繰り返し×2セットが奏され、これを後半部分とすれば、前半と後半はシンメトリーな関係を形づくることになります。この前半部分は、音の頭が2度下がる下行ゼクウェンツ(独Sequenz)といい、後半を上行ゼクウェンツといって、ゼクウェンツつまり反復進行を形成しています。ゼクウェンツは最も基本的な作曲技法ですが、シューマンの場合、基本的かつ今までには見受けられない新しい手法を用いて様々に展開させていき、その多様性を表現しました。
 
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ABEGGというたった5文字を用いて一見すれば単調に見える限定された枠組みの中で法則性に従いながらもその多様性を見せていくハーモニーに、なにかを連想してしまいました。当時としては非常に独創性があり、その革新的な作品に称賛の声も上がりましたが、飛び抜けた発想力が人々の理解を得られず批判の対象ともなりました。
 
ところで、2セット目のはじめの動機の音符の左側にうねうねとした記号が付されていますが、これはアルペジオの記号で低音から順に音を繋げるようにした奏する記号です。先ほどから二重、二重とこれでもかというくらい念を押すように二重が出てきましたが、この記号をよく見ると、DNAの二重らせん構造にそっくりに見えてきました。ここでは、二重らせんを書いたつもりが、ペン先が太すぎてインクが重なって1本に見えてしまっているような感じがします。
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音符の左側に付いているアルペジオ記号

 
シューマンの無意識のうちの親切心で、ちゃんとここに目印をつけてくれているかのようです。それで私はこの目印のアルペジオが付いている部分の後半部分を見てはたと気付きました。
 
そのある気付きの前に予習として、ABEGGという文字、今更ですがこれはまさに暗号と呼べるものです。西洋音楽では音を7文字で表します。本来、音は物体ではないので1個体ではなくひとつひとつ分けることはできないのですが、便宜上、知覚したものをある一定の間隔で仮に区切って7つに分けていて、それを文字に当てはめています。よって、Aがラの音とか、Cがドの音といった知識がないと解読することができません。まさにこれは暗号といえます。
シューマンは初期作品において多くの暗号を駆使して曲を作っています。作曲に暗号を駆使しているところが世の反感を買うところとなっている節も見受けられますが、シューマンにとっては決してふざけて作曲していたわけではなく、真剣そのもので何か壮大なものを感じさせるシューマンの沽券にかけた象徴として暗号が存在していたのではないかと考えています。19世紀初めフランスのシャンポリオンがナポレオンのエジプト遠征により発見されたロゼッタストーンに刻まれた古代エジプト文字のヒエログリフの暗号解読に成功した歴史的事実からわかるように、埋もれていた古代の謎が解き明かされ最新のトピックスとして世間を賑わせた時代です。実際、シューマンの父親はナポレオン崇拝者でありナポレオンのエジプト遠征のことは息子のシューマンにも話して聞かせていたであろうし、出版業を営んでいた故、シャンポリオンのヒエログリフ解読の情報も知りえたと考えられます。シューマンの暗号志向は父親のナポレオン崇拝からの影響であるとともに、傾倒していたジャン・パウルもナポレオンに関する叙述があり、エジプト遠征に端を発した古代エジプトブームが暗号志向の根拠ではないかと考えられます。大きな謎を解明するという壮大なロマンに果敢に挑戦した時代といえるのでしょう。そしてロマン主義といったこのような精神の高揚の源泉ともいえる主観が客観の契機を与えていく、この法則性の認識が隆盛をきわめていき、その潮流にシューマンもその存在としての輝きを多分に放っていたであろうと考えられます。
シューマンの根底に流れている本質は、ロマンと聞いてフワフワとしたメルヘンの世界にひたっている少女趣味的な意味でのロマンチックでは決してなく、表面的には空想じみたものを装いつつ、その本質はロマン主義が目指したもの、個人が根源的にもつその独自性を表出させた主観により真理に到達しようとする姿勢であったと考えられます。シューマンがロマン派音楽を代表する人物としてあげられている所以でもあります。
 
さて、脱線はこれまでで、本題に入っていくと後半部分のGGEBAを見て、EとBを省くとGGAという暗号になります。もし専門家だったらこの暗号にピンとくることでしょう。
GGAとはグリシン(Glycine)と呼ばれるアミノ酸のことで、DNAに刻まれる遺伝子を構成しているアミノ酸のひとつになりますが、GGAと書いてあるように3つのヌクレオチドと呼ばれる塩基から構成されていて、この塩基配列はコドン(遺伝暗号)と呼ばれます。生物の身体は暗号から出来ていたのですね。知りませんでした。
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赤丸の部分が左からGGA

 
20世紀になって発見されたDNAをシューマンは19世紀にすでに透視していたのでしょうか?ならば、21世紀のトピックスであるエピジェネティクスに関しても透視効果がシューマンの作品から窺い知ることができるかもしれません、というのは夢想ですが。
シューマンは作品に「聞こえない音楽」をとり入れています。聞こえないもの見えないものといった表面上からは決して窺い知ることのできないものへの探求のベクトルが、まだ解明されていない謎へとシンクロしていくかのような錯覚を生じさせるのかもしれません。
 
1831年9月21日の母宛の手紙でシューマンはアベッグ変奏曲の完成の報告をしています。
「・・・この最初の一滴が広大な天空にひらひらと舞い散って、ことによると何人もの傷ついた心に寄りすがり、その苦痛を和らげ、傷口をふさぐかもしれないというのは慰めにもなるすばらしい考えではないでしょうか。」(js s 221)*4
傷ついた心という見えないものへの働きかけの志向性がシューマンに普遍性をもたらしているのではないでしょうか。作品を作ったであるとか知らないものを知った、やっつけ仕事をしただけのそれ自体が目的になってしまっている、それで終わりではなく何かに還元していく、その姿勢が21世紀の現在、科学技術にも適用されている基本姿勢にそっくりそのままスライドされていると感じました。
 

 
*1,*2,*3,*4 「シューマン 全ピアノ作品の研究」西原稔


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