ふと、1人でいることが当たり前になっている自分に気付いた。

 

1週間前までは娘の衣服を見るだけで目頭が熱くなっていたのに…

 

それに気付いてから私の心を途端に恐怖が支配しようと黒い感覚が広がってきた。

 

 

もう家族のことを想えなくなってしまうのではないか?

 

妻への想いや反省は?

 

娘を愛せなくなってしまうのではないか?

 

娘の記憶が薄れていくのではないか?

 

 

そんな感覚が広がりそうになった。

 

この記事を読んでいる人は私を冷たい奴だなんて思わないで欲しい。

 

離れても想い続けるというのはそれだけ覚悟がいるのだ。

 

人間の「忘れる」という生理現象に打ち勝たねばいけない。

 

遠距離恋愛のような責任の伴わない関係ではない。

(学生時代に経験があるが、遠距離恋愛もかなり消耗する)

 

 

私が娘を忘れてしまうと、

 

それこそ父の言ったように「日陰の子」になってしまう。

(我が父ながら、なんと残酷なフレーズを思い付いたものか心が痛い)

 

何年後かに自分の存在意義について悩むことになる。

 

愛されていない子だったのではと。

 

一番愛が伝わるのは親子が揃ったノーマルな家庭で健全に育つことだ。

 

これに勝るものはない。

(私の立場でこれを語るのも心苦しいが、一般論であり、周知の事実だと思う)

 

娘の将来の人格形成は今の私の過ごし方に掛かっているといっても過言ではない。

 

 

【親の気持ち】

不謹慎かもしれないが、

 

じゃりン子チエのお母はんは

どんな気持ちで我が子と離れてたんかな?

 

 

と思ってしまった。

 

きっといないのが当たり前になる日常の中で

 

強い気持ちでチエのことを想っていたのだろう。

 

私も強い気持ちで妻や娘を想う。

 

あのテツでも奥さんは戻ってきたくれたのだから。

*チエの父親で喧嘩・博打・働かない

 

 

 

 

 

【私は「慣れ」に負けない】

居ないのが普通になってからどう思っていられるか?

 

感情という起爆剤がない状態でどう取り組むか?

 

本質はこれだろう。

 

居た人が居ないから寂しくて反省するといった1ターンの反省など私は望んでいない。

 

器を大きくする。

 

価値観の変容・許容。

 

これが私の目指すべき反省と誠意だ。

 

これは具体的な「抽象的」だがこれを目指して人格向上に努めたい!