真夏に行われたこの企画展で、美術館に入るとまず感じた事は『涼しい、生き返る』だった。

展示されているゴッホの絵は、知っている絵が少ない。瑞樹にゴッホの画集は見せてもらった事があるけれど、真剣に見てはいないからほとんど忘れている。

「これがね、ゴッホが耳を切った後に描いた自画像。ちょっと鬼気迫る感じがしない」

「ああ、そうだね」

「何、その気のない返事。ちゃんと見なさいよ」

「そうは言ってもさ、よく分かんないんだよ。瑞樹からゴッホの説明は何回も聞いたけど、絵の事は良く分かんない。何でこの絵が素晴らしいのか俺には分かんないよ」

「この絵が分からないの? ちゃんと見れば分かるから正面から真剣に見て」

そんなわけないだろうと思ったが、それを言うと喧嘩になる。心の中でやれやれと呟きながら『大きな木がうねっている』絵を正面からじっと眺めた。

グラリ!

あれ! 何だ? 地震か?

「瑞樹、今揺れなかった?」

瑞樹は『何言っているの』と言う顔を返した。

やはり気のせいか。俺、疲れているのかな?

再び真剣に見つめる。

グラリ!

やはり体が揺れた。いや、眼が回ったのか? その瞬間、眼から涙が零れてきた。

俺どうしたんだろう? 頭の中は冷静なのに涙がとめどもなく流れてくる。

「俊ちゃんどうしたの?」

瑞樹も俺の異変に気づく。

「分からない。この絵の前に立つとめまいがして、悲しくもないのに涙が次々と出てくるんだ」

俺は、部屋の隅に瑞樹に連れて行ってもらい「落ち着くまでここにいよう」と言われた。

俺の頭の中は落ち着いているのだが、体が震えてきたりもしたのだから俺は瑞樹の言葉に従ったのだ。

「瑞樹、もう大丈夫だからゴッホの絵を見に行きなよ」

「そんな事できるわけがないでしょ。俊ちゃんの体調が悪いのならこのまま出よう」

俺の体調が悪いのかな? いたって元気に思えるのだが。

自分では大丈夫だと思うのだが、大事を取って美術館を出る事にした。

外に出ると暑い日ざしが襲ってくる。

「暑い外に一時間以上いて、クーラーがガンガンにきいた美術館に入ったから体がおかしくなったのよ」

瑞樹は健康おたくでもあるから俺の体の異常も理解できる様であった。

「俊ちゃん、最近ストレスをためているんじゃない。会社で嫌な事があったんじゃあないの?  ストレスがたまった体で温度差のある部屋に入ったらめまいとかするんだよ。ひどい人はそのまま気絶しちゃう人だっているのよ。きっと体が冷えたのだと思う。体が冷えたから巡りが悪くなってめまいが起きたのだと思う。外に出て体が温かくなれば大丈夫だと思うけど、どう?」

「今はまったく問題ないよ。いたって元気だ。確かに美術館の中に入ったときは涼しくて気持ち良かったけど、体が冷えたのかもしれないなあ。でも、もう大丈夫だ」

その日はそのまま食事をして帰った。が、俺は何となく違和感があった。本当に冷えが原因でめまいが起こったのだろうか? あの体の揺れはめまいとは違う様な気がするし、あの涙は冷えでは説明ができない。

俺は会社が早く終わった後、ひとりで又その美術館に行ってみた。もちろんゴッホの絵を見逃したからではない。

再び『大きな木がうねっている』絵の前に立った。今度は美術館に入って直ぐ、手に持っていたスーツを着た。体を冷やさないためだ。

再び前に感じた揺れが体を襲う。そして絵の中に吸い込まれそうな感覚が襲ってきた。

瞬間、俺は見た事もない自然溢れる広場にいる。どこかの田舎の様な風景?

あ、絵の中に描いてあった大きな木が数十メートル先にある。

再び体が揺れ、気がついたら美術館の床に倒れていた。

しばらくボーとしていると係員みたいな人が「大丈夫ですか」と声をかけてくる。

「あ、大丈夫です。ちょっとつまずいたみたい」

エヘへへ、と気まずい笑いを浮かべ直ぐに立ちあがった。床に倒れたときに少し膝を打った様で、そこだけは少し痛かったが後は何でもない。

これは何かあるだろう? 外に出てから俺は考え込んだ。

ゴッホって俺と何か関係があったのだろうか?

もしかして、俺ってゴッホの生まれ変わりなの?

色んな事を考えたが『ゴッホの事を何も知らない』で考えても仕方がないので、書店に行きゴッホ関係の本を何冊か買って勉強をする事にした。

それから一年が経った。