きっとアイントホーフェンのホテルは早くに出ました。
と言うのは、ゴッホ生誕地ズンデルトには午前中に着いた覚えがあるからです。
ズンデルトにつくとまず役場に行きました。

川上宏のメッセージ


この役場、後で気づくんだけどオーヴェールの役場と似ているんです。
ゴッホの生誕地と最終地の役場が似ているのは偶然でしょうが、
ゴッホにしてみれば、オーヴェールの役場を見てズンデルトを思い出したでしょうね。
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その後、役場から少しはなれたところ、歩いて1~2分だったと思ったけど、ゴッホのミュージアムがありました。

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ミュージアムと言っても、ゴッホの絵の写真とかポスターが売ってあるだけで、カフェが主体で、
奥にビリヤード台があってそこで老人がビリヤードやっていました。
ちょっとティーを。

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少し休憩したら、老人たちと写真を取って、

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ゴッホの絵が飾ってあるところでも撮って、

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で、ここはこれで終わりでしたね。
早くゴッホの父の教会も見に行かないといけないし、
今日は、この後エッテンに行って、ハーグでとまる予定だからハードスケジュールなんです。
ズンデルトの教会もヌエネンと同じく小さかったです。

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隣にゴッホの彫像があり、なんと私たちが行ったのは秋だったので大きなどんぐりがたくさん落ちてました。


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で、たくさん拾いました。
ゴッホの生家のどんぐりです。
お土産にぴったり。
まあもらって喜ぶ人はいませんが、ポットに入れて育てることにしました。


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ゴッホはここズンデルトに1853年3月に長男として生まれました。
実は前年にも子供が生まれたのですが、生まれてすぐに亡くなってしまったのです
(えっと、この辺うら覚えで、すぐだったかどうか確証無し)。
そのなくなった子供の名もゴッホ、親からすれば亡くなった月日が同じで生まれたのだから、
死んだ子の生まれ変わりだと思ったでしょうね。
だから同じ名前にしたのだと思います。
しかし、後年、ゴッホはその亡くなった同じ名前の子供のお墓を見つけ、
ショックを受けるようです。
ゴッホの子供のころはおとなしかったようです。
ゴッホは小学校を卒業すると、北ブラバンドのゼーフェンベルヘンの寄宿学校
に入学するのですが、父が尋ねてくると抱きついて喜んだそうです。
父が来るのを指折り待っていたような子供だったんですね。
そして、後年、ゴッホが有名になったとき、ここの校長はゴッホのこと覚えていなかったそうですから、
おとなしかったんだと思います。
ゴッホの家の家政婦は、ゴッホ兄弟で、ゴッホが1番かわいくなかったそうであるから、
愛想のない内向的な子供だったのかもしれません。
それでも弟のテオとは仲がよく将来お互いに画家になろうと言ってたそうです。
だから、子供のころから画家は意識していたんだと思います。
このころ描いた素描、9歳とは思えないくらいうまいから、才能は子供のころからあったんでしょう。

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ゴッホは寄宿学校を卒業するとティルブルフの中学校に入学するのだけれど、そこで勉強についていけず、
もしくは金銭的な理由で中退した。
そしてハーグのグービル商会に入社となる。

↓ズンデルトのスーパーで買い物


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子供のころのゴッホの絵↓


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