若手の教員が

追い詰められている。

 

「公立学校における若手教師のリアル」

 

という講演会に参加して

まず感じたことはこれだった

 

あまり具体的にはかけないが

登壇した2人の

教師のリアルな訴えは

言葉にはできない

何とも言えない

もどかしさが残った

 

これは

講演者の一人である若手教師の

話だ

 

関東地方の公立小学校に勤める

30代前半の女性教諭は2022年度、

ある学年でクラス担任を

務めてほしいと管理職から頼まれた。

 

この学年は以前から、

暴力をふるう子や

授業中に座っていられない子が

少なくない。

 

このため担当する教員が

対応に苦慮してきた。

体調を崩して休む教員もいた。

 

不安を感じたが、

管理職から頭を下げられ、

引き受けた。

 

まずは子どもとの

信頼関係を築く。

 

新年度が始まる際、

そんな目標を立てた。

プレッシャーを感じていた。

 

2021年度に

心の病で休職または

1カ月以上の休暇をとった教職員の、

在職者に占める割合。

 

年代別に見ると、

20代が最多だった

 

担任としての日々が始まった。

子どもたちから目を離せばすぐ、

けんかやトラブルが起きた。

 

自分がいない間に何かあったら、

と思うと、休み時間も

教室を離れられなかった。

 

昼休みも校庭などで見守った。

子どもがいる間は

トイレに行くことや

水分補給も我慢した。

 

子どもたちが下校すると、

行事の準備や事務作業に追われた。

長い会議もよくあった。

 

午後7時ごろになってようやく、

提出物のチェックや

授業準備といった

「自分の仕事」に

取りかかれる。

 

退勤は毎日、

午後10時ごろになった。

 

連日、在校時間は

15時間ほどに上った。

 

注意して見守っていたからか、

幸い大きなトラブルは

起こらなかった。

 

次は子ども同士の関係を

深めてもらおうと

考え始めた矢先、

体に異変が起こり始めた。

 

胸が痛み、息が苦しい。

帰宅途中、しゃがんで

動けなくなることもあった。

 

クラスをよくしたい、

子どもを導きたい。

そんな意欲も失われていた。

 

ある朝、

いつものように支度を終え、

出勤しようとしたが、

体がまったく動かなかった。

 

涙がとまらず、

学校には行けなかった。

 

病院で精神疾患との診断を受け、

当面、休職することになった。

 

休み始めると、

罪悪感に苦しんだ。

 

子どもに申し訳ない。

 

クラス担任の自分が

不在になったことで、

同僚にも負担が

かかっているだろう……。

 

保護者からの信頼が

どうなるかも心配だった。

 

教員として、

忙しいながらも

成長する子どもの姿に

やりがいを感じてきたし、

仕事は楽しい面もあった。

 

休まざるを得ないのは

不本意で、つらかった。

 

なぜこうなってしまったのか。

 

振り返ると、

クラスを1人で抱え込み、

孤立していたのかもしれない。

 

学校では病気などで

休む教員が数人いて、

欠員の補充もされなかった。

 

校長や教頭といった管理職も

授業を受け持たざるを得ない

状況だった。

 

ほかの教員も

ほぼ全員が学級担任。

 

それぞれが手いっぱいだった。

 

クラスをどうするか、

相談できる人はいなかった。

 

管理職は、支援する人材を

クラスに入れるなどの

配慮はしてくれなかった。

 

「もっとサポートが欲しかった。

仕事が必要かどうか考え、

量をもっと絞って欲しかった」

 

振り返って、そう思う。

 

若手が孤立する学校がある一方で、

ベテラン教員が疲れ果てて

倒れるケースもある。

 

2人目の登壇者は

中部地方の

公立小の50代男性教諭

 

教務主任だった21年12月、

学校に行けなくなった。

 

学級担任ではなかったが、

特別な支援が必要な子を

サポートしたり

 

コロナで休んだ教員の代わりに

教壇に立ったりと、

日中はほとんど

職員室にいられない。

 

合間には、ほかの教員から

様々な報告や相談を受けた。

 

午後5時を過ぎてから、

教務主任としての

デスクワークにとりかかる。

 

教育委員会や文科省への

提出書類の山をさばき、

退勤は遅いと日付が変わる頃に。

 

出勤から退勤まで、

ほぼ休憩はなかった。

 

周到な準備が必要な

研究発表を任されたため

自宅でもパソコンに向かった。

 

職場には大学を出たばかりの

新人教員もいた。

 

教え方などを

指導する立場でもあるが、

自身の仕事に忙殺されて

ほとんど気にかけて

あげられなかった。

 

経験が浅い間は、

子どもに言い過ぎてしまったり、

よかれと思ってしたことが

裏目に出たり、

どうしても失敗が多い。

 

かつては放課後、

教員同士でゆっくり話すことが

よくあった。

 

若手は先輩に

様々なことを質問し、

助言をもらっていた。

 

いまは

それぞれ抱える仕事が多すぎて、

その時間をつくるのが難しくなった。

 

男性教諭の21年10月の

時間外勤務は、

仕事を持ち帰って

自宅で仕事をした時間も含めて

140時間に上った。

 

2019年に文科省が出した

ガイドラインで、

教員の時間外労働は

「月45時間、年間360時間」と

上限が決まった。

 

繁忙期でも、

連続する月の平均が

80時間を超えては

ならないとされる。

 

21年12月中旬の土日の両方に

長時間勤務したあと、

学校に行けなくなった。

 

うつ病との診断を受け、

休職した。

 

男性教諭の話から推察するに

彼は文科省の姿勢に

疑問を感じているようだ

 

20年度からの小学校の

学習指導要領では、

英語の授業時数が増えたうえ、

プログラミング教育や

探究学習など、

新しい要素も加わった。

 

情報端末の導入や

コロナの健康報告など

やることはどんどん増える。

 

一方、この仕事をやめてよい、

という指示はほぼない。

 

やることを減らさないまま

時間外勤務の削減は

現場に押しつける。

 

文科省の姿勢について、

男性教諭にはそうみえる。

 

「学習指導要領の改訂で

授業時数を減らすなど、

抜本的な対策が必要ではないか」

と話していた

 

 

さて、これらの事例は

ほんの1部

氷山の一角に過ぎない

 

教員の働き方改革を

支援するNPO法人「共育の杜」の

藤川伸治理事長は、

若手教員のなかで

病休者の割合が

高くなっていることについて

 

「気安く相談に乗ってもらえる

中堅が少ないうえ、

若手教員の面倒を見たり

相談に乗ったりする

職場全体の空気が薄くなり、

若手にしわ寄せがきている」

と確信している

 

1971〜74年に生まれた

第2次ベビーブーム世代が

成長するのに合わせて

大量採用された教員が

近年、一斉に退職し、

それを補う形で職場に

若手が増えた。

 

現在の40代が

新卒のころは

特に採用が少なく、

支え手が不足している状況だ。

 

このため、若手に対して

指導役になる中堅教員が

少なくなっており、

さらに多忙のため

コミュニケーションの機会も

減っているという指摘だ。

 

どうすればよいのか。

 

藤川氏は、

教職員が信頼できる

相談窓口を

都道府県教委が設けたり、

 

市町村教委が各学校に、

教職員の健康について話し合う

「衛生委員会」をつくるよう

促したりといった

取り組みが有効だという。

 

国には、病休者の割合が

高い自治体と低い自治体との

格差がなぜ生まれているのかや、

なぜ若手教員に病休者が多いか、

調査と分析が求められるだろう。

 

また、

「各学校での、

安全衛生に関する地道で

優れた取り組みも掘り起こし、

広めて欲しい」と話す。

 

長時間労働の問題に起因する

「教職の敬遠」、

つまり教員の「なり手の減少」は、

教員不足という

子どもの学びの危機につながり、

特に若手で

心の病に倒れる教員が

増える背景にもなっている。

 

そんな複雑な思いを持ちながら

自宅へ帰ると

 

次女から

「学校からの手紙」を渡された

 

そこに書かれている題名は

 

「教員免許を持っている方へ

講師の募集のお知らせ」

 

だった

 

何とも皮肉な話だ