天職というのは、

必死にキャリア形成をして

身につけるものではない。

 

そうではなくて、

気がついたらいつの間にか

その道のプロになっていた

という仕方で人は天職に

出会うのだ

 

特にその傾向が強いのは

教育者と医療家だ

 

この二つの職業を

天職だと感じる人の数は

どんな集団にも一定数必ずいる。

 

二つとも集団が生き延びるために

絶対に必要な職業だからである。

 

人類が集団として生きていくために

絶対必要な仕事がいくつかあるが、

基本的なものは四つだと僕は思う。

 

その四つのピラーで

人間社会は支えられている。

 

第一は

「物事の理非を判定する仕事」

 

あらゆる集団は

その内部で起きたトラブルについて、

正否の裁きを下す人を求める。

 

長老や智者が

その役を引き受けることもあるし、

力が強い者が

その仕事をする場合もある。

 

第二が

「癒やす仕事」

 

病気や怪我を治す医療者だ

 

第三が

「教える仕事」

 

次の集団を担う若者たちに

必要な知識や技術を教えて、

その成熟を支援する仕事だ

 

第四が

「祈る仕事」

宗教だ

 

人々に

「この世ならざる異界」

のことを教え、

それとの応接の作法を教え、

死者を供養する仕事だ

「裁く」

「癒やす」

「教える」

「祈る」

で人間集団は成立している

集団が存立するためには

この四つのピラーが

必要不可欠だ

 

どんな集団にも

「癒やし系」の人たちは

おそらく全体の7~8%は

つねにいると思う。

 

「ものを教えることが好き」

という人はもう少し多くて、

おそらく全体の10%くらいは

いると思う。

 

もちろん、

この10%の人たちが

全員教師になるわけではない。

 

違う仕事に就いていても、

何かのもののはずみの時に

 

「ちょっと教師の仕事

代わってくれるかな」

 

と頼まれた時に、

「あ、いいですよ」と

即答してしまう。

 

なんだか自分でもできそうな気が

するからだ

 

ある女子大が看護学部を作った時に、

そこの先生になる

ナースの方たちと話をしたことがある

 

2人の娘を持つ父親として

看護教育と女子教育について話をして、

いろいろ面白い話を伺った。

 

ナースというのは

なかなかミステリアスな仕事だ。

 

いろいろな異能の持ち主がいる。

 

今晩越せない患者のそばにゆくと

「屍臭がする」のだと教えてくれた。

 

実際に、その通りになる。

同僚には、明日の朝まで

持たない患者のそばにゆくと

「鐘の音が聞こえる」

という人がいたそうだ

 

ナースたちの間では

「そういうことって、あるよね」

で通るのだけれど、

もちろんドクターたちは

そんな話を信じない。

 

科学的エビデンスがないのだから

信じるはずがない。

 

ところがその病院の近くで

大きな事故があって、

次々と重傷患者が

搬入されてくるということがあった。

 

医療資源には限りがあるから、

トリアージをしなければならない。

 

そうなると、

もうドクターも仕方がなくなって、

この2人のナースを呼んで

「この人、屍臭してる?」

「鐘鳴ってる?」と訊いて

トリアージの判断をしたのだという。

 

そういうことができるような人が

医療家になる。

この話を聞いた時

にわかには信じられなかった

 

ところで本題だが
なぜ30万人もの子どもたちが
不登校になっているのか?

その解決の一つに

学校にもそういうある種の

「ミステリアス」な部分が

必要だと思う。

 

子どもたちはまだ

「野生」に半身を残している。

 

そういう子どもたちを

「この世」に

ソフト・ランディング

させなければならない。

 

そのためには

「セーフティネット」が要る。

 

それはいろいろ先生がいて、

さまざまな価値観を持っていて、

さまざまな教育方法を用いて、

一人ひとりの子どもを見る目が

違うほうがいい。

 

子どもたちを学校に

包摂するためには、

何よりも多様性が必要なのだ

 

今、30万人もの子どもたちが

不登校になっているのは、

学校の中は子どもたちが

「とりつく島」が

ないからだと思っている

 

学校の価値観が一律で、

子どもたちを定型に押し込め、

テストの点数で格付けして、

成績の良否に基づいて資源配分する。

 

その冷酷な仕組みが

子どもたちを傷つけている。

 

「保健室登校」というものがある。

これは保健室が、

他の教室と違って、

医療原理が支配する

空間だからだ

 

医療者の誓言は

古代ギリシャの医聖ヒポクラテスが

定めて以来、基本的には変わらない。

 

重要な誓言の一つは

「相手が自由人であっても

奴隷であっても、

診療内容を決して変えてはいけない」

ということだ

 

医療は商品ではない。

金で売り買いするものではない。

誰であれ、

傷つき病んでいる者に対して

はなしうる限りの手立てを尽くす。

 

だから、保健室は

学校の中における異世界であり得る。

そこには査定や格付けがない。

 

その空間だけ「この世」の格付けが

無効化される。

 

そういう異界が

学校の中にできるだけ

たくさんあるほうがいい。

 

美術室もそうだ。

そこは芸術の原理が

支配する空間だ。

 

美術の先生だけが

自分を認めてくれて、

美術室だけが息のつける場所だったと

後年回想する人は少なくない。

 

図書室も異界であってほしい。

そこでは少なくとも

「知」については、

教室とはまったく違う

度量衡で価値が考量される。

 

「入試に出る」とか

「それを知っていると就職に有利」

というような基準では、

誰も知について語らない。

それが図書室だ

 

教室には行きたくないけれど、

図書室になら行けるという

子どもたちが一人でもいたら、

それで図書室はもう

十分にその役割を

果たしていると思う。

繰り返しになるが
学校に必要なのは
「ミステリアス」な空間だ

学校教育の本来の意味を考えたら、

学校の中にはミステリー・ゾーンが

なければならないし、

先生たちの一部は

「魔法使い」でなければならない。

 

娘もそうだが

子どもたちが

『ハリー・ポッター』を

あれほど喜ぶのは、

ホグワーツの魔法学校が

秘密だらけで、

先生たちがみんな

魔法使いだからだ。

 

J・K・ローリングの物語は

「学校の理想」を描いたことによって

世界的なベストセラーになった。

 

子どもたちは、

この学校に行けば、

自分も心に傷を負った時も

それを癒やす人たちに恵まれ、

順調に成熟の旅程を

たどれるに違いないということを

直感したのだ

 

今の学校で教員たちは

「ミステリアス」であることを

制度的に禁じられている。

 

それでも、

教師たちはその直感に従って、

教室に来られない子どもたちのために

「ミステリアス」な空間を

学校内に創り出してほしいと思う。

 

「それだけ?」

と思われるかもしれないが

「それだけ」と

強く信じている