早速1日目が始まる。

 

自己紹介し、

8日間の研修の目的とゴールを確認する。

 

研修のテーマを黒板に書く。

 

「人の言う事を、うのみにしない事」

 

「どんな時も、思考停止せず、

自分なりの答えを見つける事」

 

「先輩や上司に力を借りたり、

アドバイスをもらう事は大いに結構、

だが、最後は自分で決断し、行動する事」

そして、

「この3つをしっかりと

自分事として捉え、

現場研修で誰よりも

多くの気づきを持って帰る事」

 

皆必死にメモを取っている。

しかし、何人かは、メモを取らず

僕をじっと見っている奴もいる。

 

「メモを取らなくていいのか」

と言おうと思ったが、

何の意味もなく、

そうしているわけではない

と思ったので、

敢えて、そのまま放置しつつ

彼らの名前をチェックしておく

 

1日目の最初のテーマは、

「学校の教師と

塾の教師の違いを考える」

 

1発目にしては、

ちょっと厳しいかなと思ったが、

このメンバーの中には、

「学校の教師と天秤にかけた者」

「教育実習を体験している者」

も結構いると聞いていた。

 

一方で、僕のように

「学習塾の講師の経験」

があるものいる。

 

よって、まずは

「塾の教師と学校の教師は

何が違うのか」

ここから始める事とした。

 

ある程度考える時間を与え、

「じゃあ自分なりの答えを発表してほしい」

 

と投げかけるが、

誰も手を上げない。

 

やっぱりもう少し簡単なテーマから

入った方がよかったか、

と後悔したが、

始めた以上、後には引けない。

 

「じゃあ、こちらから指名するよ?

稲垣君(仮称)どんな風に考えたな?」

 

ちなみに彼をあてたのは、

最初にテーマを黒板に書いたとき、

一切メモを取らず、

じっと僕を見ていた新卒の1人だったからだ。

 

僕の感覚では、こういうタイプは

なんか面白い回答を言ってくれそうと思っていたが、

答えは僕の想定のはるか先を行く回答だった。

 

「私の考えでは、

塾というものは、

「必要悪」だと考えています。

 

よって、教師の違いではなく、

存在意義そのものが違うと考えました」

 

(やるなこいつ。そこから切り込むか?)

 

「なるほど、ではまず、

その「必要悪」という定義について、

稲垣君の考えを聞かせてもらえるかな?」

 

 

「はい、僕は塾に通った経験がありません。

 それは、うちが貧乏だったからです。

 

友達と遊んでいても、

皆途中で塾の時間だからと言って、

一人、また一人と去っていき、

いつも僕が最後に一人ぼっちになっていました。

 

母親に“僕も塾に行きたい“と何度も頼みましたが、

”そんなお金どこにあるの?”と言われ、

結果、塾を経験する事はありませんでした。

 

それから僕は、その悔しさから

「塾に行っている奴を見返したい」

そう考えるようになりました。

 

「塾なんかに行かなくたって、勉強はできる」

それが自分の支えでした。

 

そしてある時分かりました。

塾は勉強ができない奴が行くところで、

もしすべての子供が勉強が好きで、

自分で自発的に取り組んでいるなら、

塾は存在できない。

 

塾の存在が許されているのは、

自分でどう勉強したらよいかわからず、

その上で、

経済的余裕があるという

条件を満たした子供がいて、

初めて「塾」という存在が

必要になるんだと」

 

(どうだ柊、

俺の答えに対し何か言い返せるか?)

 

そんな挑発的な目をして

自信満々の様子だった。

 

当時の僕も、きっとこんな風に

研修官から見えたのだろう。

 

なかなかの曲者だが、

彼のような「反骨真」がある人間こそ、

今の東急学院には必要だ。

 

そう来るなら「正面から受けてやる」