その代わり1つ約束しろ。

全国入試問題はしっかり進めろよ。

 

ちなみに芹沢教室では、

夏期講習から中3生には、A4 の白紙の日本地図とノートを渡し、

全国入試問題をやらせ、1つ都道府県が終わると、

その県を塗り順番にやらせ、

全県制覇したら、「全国制覇」と書かれた

小さなトロフィーと賞状を渡していた。

 

「わかった!もう5、6県ぐらいだから楽勝だよ。

 その代わり先生、絶対だよ!」

 

しかしこういう時は大抵何か起きる。

 

中2の生徒が塾の帰りに交通事故にあったと連絡が入り、

すぐに保護者のいる病院に駆けつける事になった。

 

幸い今日は前半最終日で、夕方から時間が空いていた。

この時僕は、松永君の約束を完全に忘れていた。

 

僕は大急ぎで車を飛ばし、病院に行った。

幸い大事には至らず、軽傷で済んだらしい。

2日間も入院すれば大丈夫とのことだった。

 

その後保護者と色々話をして、

教室に戻った時、10時を大きくすぎていた。

 

講習中は職員の体力、健康面を考え、

10時前には、帰らせていた。

 

当然真っ暗だと思っていたので、明

かりが見えてびっくりしたが、

 

戻ってみると、アシスタントの一人が

忘れ物を取りに来たところだった。

 

「お疲れ様、明日からしばらくゆっくりできるね」

と声をかけると、

 

「柊先生、もし可能でしたら、

松永君に1本電話を入れてもらえないでしょうか?」

 

「どうして?…、あ、オセロの件か?」

 

「そうです」

 

「そこまでしなくて大丈夫だろう。

どうせ後半になったらまた来るんだから」

 

「そうなんですけど、本人すごく楽しみにしていて、

そこで事故の話が入って、先生も私たちもドタバタして…

気が付いたときは、彼はうなだれていて、涙ぐんでいたんです」

 

「そこまでオセロに…、

でも状況は彼が一番わかっていたでしょ?

あれだけ職員室で大騒ぎになっていたんだから」

 

「だからだと思います。

彼なりに「これは大変だ」と思い、

声をかけられなかったんだと思います。

 

それでもずっと待っていたんです。

 

私が、残念だけど今日は無理だと思うよ、

でも私が柊先生に必ず後半に時間取ってもらうように

私が言っておくから、といったら、

 

わかりました、って珍しく帰ったんです。」

 

「そうか…」

 

「で、彼が座っていた受付のデスクにオセロが残ったまんまだったんで、

すぐに松永君に電話して、オセロ忘れているよっていたんですが…」

 

「え、なんか問題あったの?」

 

「そうじゃないんですけど…、

そのままにしておいて

と言って終わったんです。

 

それで最後に、

柊先生にちゃんともう1回やってくれるように必ず言ってね、

って言われたんです」

 

「そういう事か、わかった。

すぐ連絡するよ。遅いから気を付けて帰ってね」

 

そう言って、一人になると松永君に電話をした。

 

「いつもお世話になっています。

東急学院の柊です。

こんな夜分に大変申し訳ありません。

 

実は今日、

隆君と空き時間にオセロする約束をしていたんですが、

ちょっとトラブルがあり、相手が出来なかったんです。

 

ずっと待たせていたので、

きっとがっかりしているだろうと思い、

こんな夜分ですが、お電話しました。」

 

「先生、こちらこそすいません。

毎日毎日職員室に居座って、

先生たちも迷惑だから帰ってきなさいって言っても

帰ってこないんです。

 

とにかく隆は柊先生も塾も大好きで、

何時も先生の話ばかりです。

こちらの方こそいつもご迷惑をおかけしてすいません。」

 

「ところで隆君の様子はどうですか?

私から直接彼に話をしようと思うんですが。」

 

「それがですね、珍しく落ち込んでいて、

9時ごろには寝てしまっているんです。

 

普段なら遅くまで起きているのに、

珍しい事もあるものですよ。

 

といい、電話越しにお母さんは笑っていた。

 

それより柊先生、もう気になさらないでください。

むしろいつも話が止まらない子なのに、

珍しく大人しく…。

 

我が家としてはこれくらいがちょうどいいですけど。

こんなことまで先生にご迷惑をおかけしてすいません」

 

「いや、相当落ち込んでいたと聞いたので、

一言謝りたかったのと、

 

もし可能でしたら、後半の初日、夕方から空いているので、

そこで必ず相手する、と伝えてください。

今度こそ約束を守ると」

 

「先生こんなことまでありがとうございます。

珍しくしょんぼり返ってきたので、きっと喜びます

 

せっかくなので、今から隆、起こしましょうか?」

 

「いえ、それはさすがにかわいそうなので、

お母さまから伝言して頂ければ結構です」

 

あの時はそういったが、

叩き起こしてでも

直接「約束は守る」と本人に伝えるべきだった。

 

今日伝えられることが、

明日伝えられるとは限らない。

 

その時は何も考えていなかった。