これは今でも語ること自体恥ずかしい事だが、

学習塾という特異な世界にいた事もあり、

自分が社会人に全くふさわしい身なりではない事に対し、

完全に鈍感だった。

 

まず髪の毛は茶髪

黒のスーツに黒のネクタイ

そしてややロン毛

他人が見たら、

夜の商売をやっていると思われたに違いない。

 

今思えば

よくこれで受かったものだと思う。

 

この会社でのキャリアの後期において、

僕は3次面接を担当してた。

主なミッションは、

最終面接である社長面接に挙げていいかどうか、

それを判断する事だった。

 

僕がこの会社を辞める頃は、

僕も含めて、

ワイシャツの色が白か薄い青以外の人はいなかった。

当然茶髪もいない。

一民間企業の社員として当然ことだ。

上場する学習塾も、今では当たり前になりつつある。

 

僕以外にも3次面接を担当する人間は2人いたが、

内容や評価基準は担当者に任されていた。

ただ1つだけ縛りがあり、

「質問は1つだけ」である。

ココまで2つの面接をクリアーしているので、

「何じゃお前は?」

という学生はいなかったが、

気持ち悪いくらい皆

同じ模範解答で上がってきているので、

ここで見極めないと

後で社長に怒られる(笑)

 

僕はどんな時も同じ質問しかしなかった。

 

「学習塾という存在は、どうして社会の中で

存在が許されるのか、10分で答えよ」

 

あえて「存在する意義があるか」ではなく

「許されるか」という言い方にしている。

「意義は?」と聞くと、

模範解答で対応されてしまう可能性が高いため、

「許されるか」

という聞き方にすることで、

「存在する事が当たり前ではない」

という事を強調したいという思惑があった。

 

僕の合否の基準は、内容もあるが、それ以上に

「自分の言葉でしっかり相手の目を見て答えられるか?」

それだけだった。

「この質問に、

薄っぺらいか核心をつけるかの違いがあっても

おそらく間違いという回答はないだろう」

というのが僕の結論だったからだ。

「自分の言葉で

教育産業界の位置づけを言えるか」

大事なのはここだけだ。

 

でも入社当時を振り返ると、この業界特有なのか、

個性的な人は多かったような気がする。

見た目も服装も。

 

大手予備校などでも、

看板講師は、見た目が100%とでも言いたいのか、

インパクトは半端ではない。

 

知っている人は分かると思うが、

大手予備校でカリスマ的存在だった

「金ぴか先生」

 

今見れば、お笑い芸人にしか見えない。

塾における教師の位置づけが、

そういう先生を生んでいたと思う。

 

この老舗塾でも

入社当時は白いワイシャツに、紺のスーツという

”いかにもサラリーマン風“の人は、

あまりいなかった。

 

まだこのころは、

「学習塾独自の雰囲気」が根強く残っており、

一般の社会人とはどこか違う雰囲気が当たり前だった。

(たまに電車で帰る事があったが、

見た瞬間”この人、塾の業界にいる人だな”とすぐわかった)

 

 

(のちに自分がエリア責任者になった以降、

教育業界も、「一民間企業の社員」という位置づけが強くなり、

ビジネスパーソンとしての見た目が重視されるようになった。

 

そして新卒研修が始まった。

学習塾だからといって、授業だけではない。

社会人としてどうあるべきかについての基礎基本

それこそ電話の取り方ひとつから徹底的に叩き込まれた。

 

当時、「学習塾」という一般社会とは異なる雰囲気がある一方で、

一民間企業として、「接客業でもある」という意識も

芽生えつつあり、

僕の入社時期は、その2つがまだ混とんとしていて、

 

「外見は目をつぶるが、行動は民間企業に相応しくせよ」

とかってに解釈していた。

 

今でもよくわからないが、

当時の研修の中で、4人くらいで1チームとなり、

落語の「外郎売」を全文暗記し、

チーム内で一人でも間違えたらやり直し、

というのがあった。

 

おそらく協調性やチームとしての役割を

考えさせることが目的なのだろうが、

最後まで、この研修の意図が分からなかった。

(結局自分が幹部になった時にはなくなした)

 

特に接客・接遇に関しては、

かなり時間をかけて徹底的に叩き込まれた気がする。

これはとても大事なことだと今更ながら痛感する。

 

この世界は、素人でもベテランでも、

一旦教室へ行けば、

生徒も保護者からも「先生」と呼ばれる

最初はだれでも謙虚だが、

 

大手と言っても、

教室のサイズは大小さまざまで、

入社当時は、

駅前などのターミナル教室は500人くらいの生徒がおり、

教師も15人くらい普通にいた。

 

一方で住宅地など、

駅から離れたサテライト教室は100~180人程度であり、

教師も5、6、事務職も含め7人くらいで回していた。

 

大きな企業に勤めるのと違い、

学習塾は、どんなに規模が大きくても、

出向などの特別な仕事以外は、

ほぼ、同じ教室で丸一日過ごす。

だから、視野が狭くなり、

世間の常識と乖離していても

気づかない事が多かった。

 

個人的な話だが、6年前、

今まで住んでいたマンションを人に貸し、

新たに戸建て住宅を購入した。

引越しの際、入社当時の写真が出てきた。

 

「よくこんな格好で平気に授業や保護者対応していたな」

と思う位チャラかった。

 

(当然だか、娘に見られるわけにはいかないので

この機会に中学から大学までの写真はすべて処分した)

 

「先生」と呼ばれる重さをいつの間にか忘れてしまう。

僕のように同じ業界の経験があっても、そうなのだから、

未経験の人間は、どうしても傲慢になりやすい。

 

学習塾という業界は、

確かに在籍数、入塾者数、実績というノルマがある。

しかし、どうしても「授業」というのがメインにある為か、

そう言うノルマに対する危機感や

達成感が希薄になりがちだった。

 

もっと言えば、

一般企業のような業績を追うという事を声高に叫ぶと、

「大事なのは授業だ」という論理に陥りがちで、

 

教室長と言えども、

自分の教室の損益分岐点がどれくらいかなど、

財務会計、企業会計に「うとい」事

これに対する危機感はほとんどなかった。

 

ちなみに僕は、後半の授業研修に進むまでに、

3回ほど、別室に呼ばれ、注意を受ける。