仕事柄、

内定者研修や採用面接を

請け負う事は多い

 

ここで問題になるのは

「モンスター社員」を見極める事

「シュガー社員」を見極める事

 

が重要になる

 

因みにシュガー社員については

以前に書いたので

 

 

 

今回はモンスター社員を

どうやって見極めるかを

考えてみたい

 

人手不足のうえに、

中小零細企業だと、

思うような人材なんて

来てくれない。

 

多少ハードルを下げてでも

採用しないと

 

という気持ちは、よくわかる

 

とはいえ、

過去に何度も痛い目に遭っているなら、

同じ失敗の繰り返しになり、

全然進歩しない。

 

ここは中小零細企業といえども、

 

「自社なりの採用基準を設け、

満たさない人は落とす」

 

で良いだろう

 

たとえば、

わかりやすいのが

 

「転職回数の多い人」

 

最近、短期で何回も

勤務先が変わっている人は

特に要注意だ。

 

もちろん、それだけで

即NGにはしないとしても

理由を聞いてハラオチしないなら、

やはり見送るべきだ

 

「理由はともあれ、

早急に欠員補充しなければ

ならなかったので、

採用したけど、

やっぱり当社も短期で辞めた」

 

といった過去の苦い経験があれば、

その人の転職回数を

下回ることを

採用基準とすべきだ

 

転職回数の多さに加えて

チェックすべきなのが、

前職(現職)の退職理由。

 

これも「ハラオチするか」が

最大のポイントだ

 

前職の誹謗中傷に

走るのは論外として、

たとえば

「長時間労働がきつかったから」

との理由でも、

それが月30時間程度の残業なら、

当社でも十分起こりうる。

 

「仕事と処遇(給与)が

見合わないから」も

 

当社でも十分起こりうる

となると、

入社しても同じ事象になるので

見送りが妥当だ

 

「パワハラがあったから」も、

事実かは

実際のところわからないのと

 

適法な厳しめの指導を

パワハラと主張する人

多くなってきているので

要注意だ。

 

こうした際は詳細を深掘りし、

本当にパワハラなのか、

被害妄想か、

当社でも起こりうることかを

見極める必要がある

 

これは「ヤバい人」を

見極めるキラー質問だ。

 

「本当の退職理由」を尋ねる

アンケートによると、

 

職場の人間関係が悪い

給与が安い

会社の将来性が不安

仕事内容が合わない

残業・休日出勤が多い

 

等が代表例となっている

 

たとえば

「職場の人間関係が悪い」は

本音としては理解できるし、

実際、統計上でも

上位にランキングされている

 

とはいえ、

それだけでは

ハラオチしないだろう。

 

退職を決断するということは、

どれだけ悪かったのか? 

それを単なる悪口ではなく、

具体的かつ丁寧に話して

 

「さすがにそういった状況なら、

私も辞めるな」と

 

企業側(面接官)が

納得するくらいの

説明力が求められる。

 

そして

「その退職理由なら、

当社に入っても

同じことにならないか?」を

チェックする必要がある

 

そこで退職理由を

一通り聞いた後に、

「当社でも同じような状態は

起こりうる」と前置きしたうえで、

 

「それなら、

当社も同じように

辞めてしまうのでは

ありませんか?」と、

深掘りしてみてほしい

 

回答に窮してしまうのか? 

それとも

「いや、そうはならない。なぜなら~」

と納得のいく回答を

展開できるのかで、

当人の本当の姿が

見えてくる

 

特にこうした追及の場合は、

回答内容以外にも、

不満げだったり、

逆に感情をおくびにも出さないで

飄々としているといった、

表情や仕草にも表れてくる。

 

そうしたサインも逃さず、

言葉と行動が一致しているか

という視点からも、

当人をよく観察してほしい

 

貴社入社後に、

こうした不平・不満が

溜まりに溜まって爆発する、

もしくは独り耐え忍ぶとなると、

問題行動に発展する危険性がある。

 

とはいえ、

ここも直球だから、

「いえ、特にありません。

皆と仲良くやっていました」と

 

模範回答をされるのがオチだ。

 

この手の質問は、

本音や真実を聞き出して、

その情報を元に

自社に合うかどうかを

判断するのが目的だ

 

したがって、

話しやすいように

リードするのが効果的だ。

 

たとえば、
「職場に必ずムカつく人、

いますよね? 

実は私も前職でこういった人がいて……」

 

と、前置きしたうえで、

この質問をするのだ。

 

「確かに、いたな」と

共感するので、

模範回答ではなく

音を話してくれる可能性が

高くなる

 

ここまでリードしても、

 

「いえ、思ったことはないです」

と答えるなら、

 

「ほんの少しも、ですか?」と

追及してほしい。

 

それでも「ない」の一点張りなら、

さすがに疑わしいと見るべきだ

 

一方、たとえば、

「上司が細かい人で、

結果はしっかり出していたのに、

いちいち報告を求められまして。

報告が仕事ではないはずで、

その点、上司には不満でした」と、

回答したとしよう

 

ここも深掘りして、

本人の成績が大して

良くなかったなら、

上司は本人のために

マイクロマネジメントを

始めたのかもしれない。

 

そうした「盛り」「他責」が

目立つようなら、

不採用要因となる

 

また

「若手だからと、

先輩達からこうした

雑務をやらされた」

 

といった不満に対しては、

雑務が常識の範囲内なら、

「その程度で不平・不満に感じるのか? 

それだと当社でも起こり得るな」

となり、

これも不採用要因につながっていく

 

偉そうに言う僕も

過去にモンスター社員を見極められず

内定を出してしまったことがある

 

その後どうなったかは

皆さんの想像通りだ
 

円安が日本を苦しめている。

 

物価は上がり、

一方で賃金は上がらず、

気づけば日本人は

かつてに比べ豊かでは

なくなってしまった

 

国や日銀は為替介入したり

金利をいじったり対応をしているが、

それだけでは好転しそうにない

 

なぜなら、

円安の根本原因は

日本の国力の低下

そのものにあるからだ。

 

為替や金利などの

表面的な対応ではなく、

もっと本質的かつ

長期的な対応が必要だ。

 

その抜本的な対応のひとつとして、

非常に重要なのが

子育てや教育だ。

 

それらに長年関わっている立場から、

今回はいくつか提案したい

 

円安はドルが高いという意味であり、

それはアメリカ経済が強いからだ。

 

強い理由としてひとつ大きいのは

 

GAFAM

 

(Google・Amazon・

Facebook〈現Meta Platforms〉

・Apple・Microsoftの頭文字を

とった呼び名)

 

に代表されるような

革新的なビジネスを行う

強い企業群があり、

経済を牽引しているからだ。

 

そして、今もGAFAMに続く

革新的なビジネスが

たくさん生まれ続けている

 

アメリカには、

他人がやらないような

独創的なアイデアで、

新規ビジネスを始めたり

起業したりする人が

たくさんいる

 

それに比べると

日本はそこが弱い。

 

2021年度の日本の

新設法人数は14万4622社だが、

アメリカは約540万社で

日本の約37倍だ

 

なぜ日本がそこに弱いのかというと、

子どもの頃から

学校でも家庭でも

次のように言われて育つからだ

 

・勝手なことをしないで、
 みんなと同じことをしなさい

・親や先生に言われたことを
 ちゃんとやりなさい

・自分の好きなことや
 やりたいことではなく、
 やるべきことをやりなさい


・得意なものを伸ばすのではなく、
 苦手なものを
 人並みにできるようにしなさい


・とにかく短所を直しなさい
 

特に日本の学校は、

授業も行事も含めて全て、

みんなが同じ時に

同じことを同じようにする

「集団主義」「横並び主義」が

大前提に設計されている

 

授業は未だに最大40人という

大人数の一斉授業が基本だ

 

だから、

授業についていけない子は、

わからないまま座っているだけで

おいていかれる。

 

学力が高い子には

わかり切った内容なので

時間の無駄になる

 

そういう子は

どんどん高いレベルに

進めるようにすれば

もっと伸びていけるのに、

一斉授業ではそれができない

 

学校行事も同様で、

個人が主体的に

活躍できる場面は少ない。

 

何事においても同調圧力が強くて、

周りに合わせられない子は

生きづらい思いをする

 

こういう環境では

組織の歯車になる人は育つが

独創的なアイデアをひらめいたり、

やりたいことを

主体的にどんどん

実行したりするような人は

育たない

 

学校でも家庭でも

そういう環境で育ち続けて、

大人になって仕事を始めてから急に

 

「みんなと同じじゃダメだ。

 他がやっていない企画を考えろ。

 オリジナリティを出せ」

 

と言われても無理に決まっている

 

学校も家庭も、

横並び主義から

抜け出す必要がある。

 

特に日本の学校は

アップデートする必要がある

 

つまり、

もっと子ども1人ひとりの

興味関心や学力に応じて

学べるスタイルに

変えていく必要がある。

 

これを学びの個別最適化という。

 

そうすれば、

オチコボシも

フキコボレもなくなり、

どの子も自分の能力と

ペースに応じて

伸びていくことができる

 

とはいえ、

先生たちは

超ブラックな労働環境の中で

既に精一杯やっていて、

これ以上のことを求めるのは無理だ。

 

必要なのは、

教育予算を増やして

先生の数を増やし、

少人数教育を実現して

個別最適化ができる態勢を

作っていくことだ

 

先進各国は既に

少人数教育に舵を切っている

 

日本もそうすべきだろう

 

そのためには、

教育に向ける予算を

増やす必要がある。

 

ところが、

日本の教育に対する公的支出は、

GDPの2.8%で、

OECD平均の4.1%を

大きく下回り37カ国中で36位だ。

 

ちなみにその前年は最下位で、

その前には6年連続最下位を

記録したこともある

 

どの国もお金に余裕があるから

教育予算を増やしているわけではない。

 

どの国も一様に大変なのだが、

それでも教育の大事さが

わかっているから

増やしているのだ。

 

そこが日本と違うところだ

 

2022年度時点で

不登校を選択している

小中学生は約30万人だ。

 

これほど多くの子どもたちが

学校にノーをつきつけているのは、

さまざまな理由があるとはいえ、

集団主義を前提とした

校の設計自体に無理がきているからだ

 

不登校を選択した子どもたちの多くが

フリースクールを選択している。

 

学校よりも個別最適化された

学びができるからだ

 

東京都は2024年度から

不登校の子どもを対象に

フリースクール等の費用を

月2万円の助成を行っている。

 

ぜひ、これを全国に

広げていくべきだと思う。

 

そのためには、

各自治体任せにするのではなく、

国レベルで行う必要がある

 

ホームスクーリングを

選択する子もいるので、

当然そちらにも助成が必要だ。

 

僕は、フリースクールや

ホームスクーリングを

選択する子どもたちにこそ、

大きな可能性があるのではないかと

思っている。

 

そういう子たちは、

主体的な自己実現力が

ある大人になる可能性が

高いと思うからだ。

 

日本のGAFAMは

そういう子たちの中から

生まれるのかもしれない

 

学校教育と同時に

変える必要があるのが、

幼稚園や保育園における

幼児教育だ。

 

ひと言でいうと、

遊び中心に

舵を切ることが大事だ。

 

でも、実際には遊び中心の

園は少なくて、

小学校の内容を先取りして

取り組む小学校の

予備校のような園が多い

 

例えば1時間目ひらがな、

2時間目数のお稽古、

3時間目鼓笛隊の練習

という感じの園もある。

 

なぜなら、

そのほうが親の受けがよくて

経営が安定するからだ

 

そこを卒園した子どもたちは、

確かに小学校入学後の

スタートダッシュはよくなる。

 

でも、その後に

伸び悩む子も多いのは

皮肉と言わざるを得ない

 

実は、

遊び中心の自由保育のほうが

子どもが伸びることが、

発達心理学の研究で

はっきりわかっている。

 

遊びの中で

非認知能力

読み書き能力

語彙力

 

などが大きく伸びるからだ。

 

実際に、幼児期に

たくさん自由遊びをした子ほど

大学受験でも

よい結果が出るということが、

内田伸子

(お茶の水女子大学名誉教授)

の研究でわかっている

 

シカゴ大学の研究でも

内田先生の研究と

同じような結果が出ている。

 

それによると、

学力が上がるだけでなく、

仕事がよくできて

収入も上がるとのことだ

 

だから、幼稚園や保育園も

遊び中心の方向に

舵を切るべきだろう。

 

そのためには、

ここにもしっかり

予算をつけて

幼稚園や保育園の先生を

増やす必要がある

 

家庭の子育てや

教育も次のように

変えていく必要がある

 

・みんなと同じを強いる
  横並び主義をやめる

・短所や苦手を直すことより
  長所や得意を伸ばすこと

・親がやらせたいことより、
  遊びも含めて本人が
  好きなことや
  やりたいことを優先する。
  それに熱中できるように応援する

 

家庭での取り組みで

参考になるのが、

 

「サンドウィッチマン&

 芦田愛菜の博士ちゃん」

 

という番組だ。

これに出る子は、

みんな自分の好きなことに

熱中していて、

親が徹底的に応援している。

 

その結果、

子どもたちは

みんなやる気満々で、

自分がやりたいことを

自分で見つけて

どんどんやっている

 

頭がよくて

理解力
思考力
表現力
記憶力

に優れている。

 

こういう子たちの将来は

明るいと思う

 

人口も国力を左右する

大きなのもののひとつだ。

 

ところが日本の人口は

毎年減り続けている。

 

ピークの2008年には

1億2808万人だったのが

2024年4月1日現在では

1億2400万人で、

16年で408万人も減っている。

 

しかも、減る人数も割合も

加速度的に増えている

 

“異次元の少子化対策”を

実際に行っていくことが必要だ

 

表面的でなく

本質的かつ長期的な

対応が必要だ

 

中でも教育が大事だ

 

資源のない日本が

人を育てること

つまり、

教育に力を入れなくて

どうするのだろうか? 

 

現状、日本は

教育先進国とは言えない。

 

このまま教育に

予算を割かずにいたなら、

日本の衰退は

ますます加速するばかりだ

孤独感は、

物理的に"1人"というのではなく、

感情的な問題だ。

 

もともと

「だれかとつながっているものだ」

という前提があると、

つながりを得られないときに、

孤独感を味わうことになる

 

世界がもともと自分1人だったら

孤独を感じることはないのだろうが、

自分以外のだれかが存在しているために

孤独を感じてしまうのだろう

 

子どももよく、

お母さんが離れようとすると、

寂しがって泣いてしまう

 

もともとお母さんと

つながっていた子どもは、

お母さんのことが

認識できるようになると、

ひとりぼっちになる不安を

感じる

 

感情のかたまりである子どもは、

保育園に預けようとすると、

最初は激しく抵抗する。

 

「怖いよー。

お母さんがいないと生きられないし、

愛情も与えてもらえない。

ちっとも楽しくないよー」と

寂しがっているのだ

 

でも、最初から

他人に人懐っこかったり、

保育園に慣れて、

そこでの楽しみが

見つかったりすると、

子どもはそれほど

泣かなくなる。

 

お母さんに依存せず、

「ばいばーい」と

にっこり笑って、

自分から楽しい世界に

飛び込んでいく

 

大人であっても、

 

「私は1人でも大丈夫。

この世界も悪くない。

そのうち友だちもできるだろう」と、

自分も世の中も

信じることができれば

孤独はさほど感じないはずだ

 

人間には、

孤独で辛い状況を

なんとか脱しようとする力が

備わっている。

 

これが健全に機能している人は、

孤独を受け止め、

それを乗り越えていくための術を

覚えていく

 

「人とつながろう」と

自分から積極的に人を求め、

自分をわかってもらおうとする。

 

自分を受け入れてもらうために、

人間関係を学んでいくだろう。

 

また、

孤独の中で自分と向き合い、

何かを生み出そうとする人もいる

 

そうして、

人の痛みがわかるようになったり、

1人でいる自信をもてたり、

人といることに喜びを感じたり

という学習を経て、

人間としての深みは増し、

成長していく

 

ところが、

ただ

「寂しさをまぎらわそう」

「1人にはなりたくない」と、

 

逃げの姿勢の人は、

なかなか孤独を

乗り越えられない。

 

そんな人には残念ながら、

孤独の苦しみが

絶えずついて回る

 

無理に人に合わせたり、

人の輪に形だけでも

加わろうとしていたり、

とりあえず物理的に、

1人にならない状況を

つくろうとしても、

 

「なんだか寂しい」

 

という気持ちを、

拭い去ることはできないはずだ。

なぜなら

心がつながっている

状態ではないからだ

 

一時的に孤独が解消されたとしても、

人とわかり合えない状況、

疎外感をもつ状況になると、

また孤独に陥る

 

孤独を受け入れ、

自力でなんとかしようとする

覚悟がないかぎり、

寂しさは続き、

依存できるものを

求め続けるのだ

 

"孤独恐怖症"というほど、

1人になるのを恐れて、

絶えず人との関わりを求め、

人がいないと生きていけない

というような人がいる

 

どうして人がいないと

そんなに寂しがるのか?

と考えると、

1つの答えが浮かび上がってくる

 

「人の評価に頼って生きているから」

「人はどう思うか」

「人が認めてくれるか」

 

と、他人の目からの評価が

生きている価値であり、

それを基準に行動しているため、

"1人"を楽しめない

 

人にもよるが、

10代、20代は、

いつも人と一緒にいないと

気が済まなかった人も、

年齢とともに

1人の生活を

楽しめるように

なってくるものだ。

 

自分のために

家庭菜園をもって

おいしい料理を作ったり、

自分の趣味に没頭したり、

一人旅を楽しんだり。

 

これは人からの評価がなくても、

自分で自分を認めたり、

喜ばせたりできるようになり、

自己完結できる力を

獲得したからだ

 

他人に依存している人は、

自分の欲求を押し殺したり、

逆に押しつけたり

しているところがある。

 

人がいないと自分の行動を

決められないようでは、

自分も相手も疲れてしまう

 

でも、

「人といるのも好きだけれど、

 1人でもOK」

 

と精神的自立ができている人なら、

相手と対等な関係が築け、

相手を思いやる気持ちももてる

 

そんな人は、

相手にとっても負担がなく、

心地いいだろう

 

他人をすべてわかることはできないし、

同様に、

自分をすべてわかってもらうことも

できない

 

会社のなかで孤立したとき、

気が合っていた友人と

意見が食いちがったとき、

恋人が自分の期待に反する

行動をとったとき、

親が自分のことを

認めてくれないとき

 

そのような状況になると

寂しいものだ

 

「どうして、わかってくれないんだろう」

と思うだろう。

 

そして、

「話せばわかってもらえる」

「わかり合えるはずだ」

 

という信念のもと、

無理に気持ちを一致させようと

がんばって、

これが、うまくいけばいいのだが、

気持ちが平行線だと

さらなる孤独が待っている

 

でも、

「相手も自分と同じように

考えてくれるだろう」

 

と思うのは、大まちがいだ。

 

それぞれ、ちがう人間だから、

考え方がちがうのは当然のこと。

 

それぞれ、別のDNAを受け継ぎ、

性質もちがえば、

育った環境もちがう。

 

受けた教育も経験もちがう、

出会った人もちがう

 

そんな異質な条件下で、

考えがちがったり、

理解できなかったりすることが

生まれてくるのは、

ごく自然な流れだ。

 

相手を、

自分とは同じでない

"別の人"として尊重しようとすると、

理解や賛成はできなくても、

その考えを認め、

受け入れることができる

 

「人はわかり合えるはずだ」

と思えば、わかり合えないことが

寂しく感じられるが、

 

「わかり合えないこともある」

と考えていれば、

わかり合っていくことが

うれしいもの。

 

「人間はわからないから、おもしろい」

 

「すべてはわからないけれど、

少しでもわかりたい」

 

と近づいていく姿勢が、

お互いの距離を

埋めていく

 

そもそも人間とは

孤独なものだ。

 

この世に生を享けてから

息を引き取るまで、

それぞれひとりの人生を歩いている。

 

家族や友人、恋人、仕事仲間など、

ほかの人と寄り添うことはあっても、

決して同じ線上になることはない

 

それに、

自分の考えにしたがって

のびのびと生きようとすると、

必ず、衝突や軋轢が生じる

 

そんなときに、

孤独を受け入れて、

「人それぞれ」

「わからないこともある」

 

とあっさりちがいを認めることが、

孤独から寂しさを生まない

知恵だと思うのだ

 

これまで、多くの

「30歳から伸びる人」たちと

交流してわかった

意外な真実がある。

 

その多くは、

自分の夢を描いて、

そこにたどり着くための

計画を立て、

コツコツと努力してきた

人ではなかったということ。

 

「ずっと、この仕事をしたいと

思い続けて、夢が叶いました!」

なんて人は、ほとんどいない

 

その人たちが決まって言うのは、

「いつの間にか、こうなっていました」

 

もしくは、

「こうなるしかなかった」

ということ。」

 

そして、

「たまたま、~だったおかげで」

「偶然、~なことが起きて」と、

 

ひょんなきっかけから、

いまの場所にたどり着いている。

 

 

つまり、なりゆきのような

“波”に乗ってきた結果、

と言っていいかもしれない

 

いい波を見逃さずに

キャッチする目、

 

波に乗るタイミングが、

その後の人生を大きく左右する。

 

「伸びていく人」とは、

だれの人生にも

やってくる波を受け入れ、

味方にしている人だと思うのだ

 

仕事は、人を喜ばせたり、

人の役に立ったりして

ナンボのもの。

 

結果的に、

収入や、やりがいや評価……と、

自分のためになったとしても、

まずは人を喜ばせることが

できなければ、

仕事ではないのだ

 

僕たちは「自分」という

商材を使って、

商売をしているようなものだ。

 

「人が喜ぶ、

価値あるものを提供する」のが、

商売の基本。

 

もちろん、

好きな仕事があれば、

それもいい。

やっていて楽しいから、

力も発揮しやすく、

結果も出やすいはずだ

 

でも、世の中や会社、顧客が

 

「いまは、いらない」

「もう少し別のものが欲しい」

 

という状況で、

 

「私はコレをしたいの!」

「コレしかできないの」

 

という“ひとりよがり”では、

商売は成り立たない

 

需要や潜在的ニーズがないところで

需要を生み出すには、

よほど魅力的な

ブランディングが必要なのだ

 

「自分が求めていること」よりも、

「人が求めていること」を

軸に考えたほうが、

商売はうまくいくに決まっている。

 

その軸の延長線上で

 

「私にできることはなに?」

 

と探っていくのだ。

 

それが自分の得意なことであれば、

なおさら価値は高まる。

 

その時点で、

できないことであっても、

努力次第で、

できるようになる

可能性もある

 

時代もまわりの状況も、

人のニーズも、

刻一刻と変わっていく。

 

そのとき、

そのときの状況に応じて、

「これなら、できます!」と

自分がもっているものを

柔軟に差し出していけばいい。

 

どんな人でも、

自分なりのやれることがあるはず。

 

あたりまえのことだが、

仕事は自分本位で

がんばってもうまくいかない。

 

まずは“相手ありき”。

 

人を喜ばせてナンボのもの

 

その基本さえ忘れなければ、

だれでも仕事はうまくいく

 

つまり、

「好きなもの」より「得意なもの」

「やりたいこと」より「やれること」

 

自分が「求める方向」より、

自分を「求めてくれる方向」に

動いていくほうが、

チャンスはある。

 

実際、その方向に

動いていった人たちが伸び、

結果を出している

 

30歳から伸びていくためには、

自分がいる場所で

「求められる人」に

なっていくことが大切だが、

だれであっても

 

「できる人」

「求められる人」

 

になれるということだ。

 

本当にだれであってもだ。

これは僕の経験上間違いない

断言できる

 

そのためには、

まわりの状況、

仕事を与えてくれる相手を、

よく観察することだ

 

「なにを欲しがっているのか」が

わからなければ、

仕事のやり方も見えてこない

 

たとえば、

「会議用の資料をつくって」と

頼まれたとする。

 

その資料は、

「だれが、

なんの目的で使うものなのか」

 

「いつまでに用意すればいいのか」

 

「どれくらいの詳しさを

必要としているのか」

 

それによって、

どこにポイントを

置けばいいかが変わってくる

 

また、仕事を与えた上司が

「どんな人なのか」でも、

対応はちがってくる

 

スピードを重視するのか、

それとも正確さか、

わかりやすさなのか、

 

報告は細かくしたほうがいいのか、

わかりにくい部分には

説明をつけたほうがいいのか

 

つまり、

相手の期待するポイントを

押さえればいいわけだが、

30歳を境に、

相手や組織の期待すること、

要求することが、

大きくなってくるのを

感じるのではないだろうか

 

すると、多くの場合、

 

「会社の期待に

応えられていないんじゃないか」

 

「自分はこのままで

やっていけるんだろうか」

 

と不安を抱えるようになる。

 

期待されることはチャンスだ。

 

逃げたり、

負担に感じたりしないで、

自ら果敢に飛び込んでみてほしい

 

期待が大きければ、

それに応えるスキルを磨き、

自分なりの方法を

生みだしていけばいいし、

 

もしかしたら別の部分で、

それに代わる貢献が

できるかもしれない。

 

自分に期待してくれる人、

見込んでくれる人には、

最高のものを

返していこうとすることが、

仕事の成果につながる

 

30歳から

「伸びる人」になるためには、

チャンスを味方にすることだ。

 

「チャンスなんて、

偶然、やってくるものだ」と、

思われるかもしれないが、

 

僕の経験上、

自分の気持ち次第で、

引き寄せることも可能だ。

 

チャンスには、

いくつかの特徴がある。

 

まずは、チャンスは、

それに相応しい資質がある人に、

やってくるということ。

 

たとえば、

自分があるプロジェクトを

任されたとしたら、

それだけのことをやる

能力があると思われたから。

 

秘かに力をつけて、

準備万端にして待っていると、

不思議と30歳を転機に、

それに相応しいチャンスが

「これ、やってみる?」と

舞い込んでくる

 

次の特徴は、

チャンスは動いている人のもとに、

やってくるということ。

 

「求めよ、さらば与えられん。

尋ねよ、さらば見出さん。

門をたたけ、さらば開かれん」

 

とは、有名な聖書の言葉。

 

求めているから、

それが与えられる。

 

尋ねたり探したりするから、

それが見つかる。

 

門をたたく……

つまり行動するから、

それは実現する。

 

与えられるのを

待っているだけじゃなくて、

自分から求めて動いていかなきゃ、

だれもチャンスは与えてくれない

 

もっと欲張ってもいいのだ

 

「やりたいことはやりたい」

欲しいものは欲しい」と

 

まわりの人に願望を伝えて、

動いてほしい。

 

きっと、

それに関する情報や人が、

次々に引き寄せられてくるはずだ

 

そして、3番目の特徴。

チャンスは、

あっという間に

過ぎ去ってしまうということ。

 

たとえば

「この仕事、やってみる?」と

言われたときに、

「やる!」とすぐに飛び込んで

いかなければ、

待っていてはくれない。

 

「力をつけていく」

「求めて動く」日常を送りつつ、

 

「これだ!と思ったら、

即、飛び込む」。

 

そんな人に

チャンスの神様は

ほほえむのだ

 

30歳を境にして

「幸運になる人」には、

基本的な条件がある

 

いちばん大切な条件は、

人から愛される人柄であること。

 

「なぁんだ」と思われるかも

しれないが、

このあたりまえのことに

気づかなかったり、

頭ではわかっていても

行動が伴わなかったり

することが多いのだ

 

世の中は、

人の感情で動いている。

 

「この人、好き」

「この人と仕事がしたい」

 

と思われる人は、

引き合いが多く、

チャンスに恵まれるもの。

 

仕事のスキルがさほどなくても、

素直であれば、

まわりのサポートで

成長していけるし、

結果も出せる

 

仕事の実力は、

「仕事力」と「人間力」の両輪で

生み出されるのだ

 

仕事もチャンスも、

人が運んできてくれるもの。

 

事で伸びていくためには、

仕事の能力に加えて、

まわりから愛され、

引き立ててもらう人柄が必要だ。

 

「え~、愛される人柄は、

もともとのキャラなのでは」

 

「私は、愛されるものは、

なにももっていないし」

 

なんてつぶやいていないだろうか??

 

愛されるためには、

事ビジネスにおいて

特別なことは必要はない。

 

求めれば、

だれにだってできること。

 

それは、

身近にいる人を大切にすること。

 

積極的に人のいいところを

認めようとすること。

 

なぜなら、だれだって

自分のことを

好きでいてくれる人のことは大好き。

 

まわりに与えた好意は、

不思議なほど

ひと回り大きくなって、

どこからともなく返ってくる。

 

“自分から”与えられる人には、

30歳を過ぎてから、

その分のご褒美がついてくるのだ

 

幸運な人の条件2つ目は、

まわりの人と同様、

自分自身も大切にしていること。

 

自分を抑えて我慢していると、

人にもやさしくなれないもの。

 

無理をしていると、

自信をなくし、

生きづらいことに

なってしまう

 

そして、最後の条件は、

明るく前向きに生きていること。

 

「自分にはなにができる?」

といつも考え、

 

自分を根っこのところで

信じて進んでいけば、

必ずまわりを認めさせる

仕事力はついてくる。

 

好かれる人には、

自然に人も情報も

サポートも集まる

 

「まわりの人と

自分を大切にして、

前向きに生きる」。

 

これだけで運に愛されるはずだ

自分の強みにしようと

最新の経営理論を学んだが、

それが会社でまったく評価されない。

 

コピーライティングを実践で

身につけるセミナーに

通ってみたが、

転職の面接通過率は

一向に変わらない。

 

そんな経験はないだろうか?

 

 

これは顧問先の会社で

とある部門の管理職を目指す

有望な人材の話だ

 

この2つ悩みの共通点は、

なんとか自分を

「差別化」しようとして、

それに失敗している

 

ということだ。

 

「差別化」という言葉は、

もしかしたら一番有名な

マーケティング用語かもしれない

 

仕事ではマーケティングに

縁のない人でも、

一度くらいはこの言葉を

使ったことが

あるのではないだろうか。

 

あるいは

自分自身のキャリアで

実践しようとしたことも

あるかもしれない

 

しかし、

聞きかじりの専門知識というのは

だいたい誤解される。

 

この「差別化」も例外ではない

 

「差別化=自分だけの違いをつくること」

だと考え、

例えば世界で数十人しか話者がいない

マイナー言語を身につけたとしても、

それで給料が上がることはない。

 

差別化といっても、

ただ「違い」にだけ注目を

していればいい、

というわけではないのだ

 

差別化の正しいステップは、

まず「参照枠」

考えることから始まる

 

参照枠というのは、

顧客が頭の中に

無意識につくっている

商品やサービスを

分類するためのグループだ

 

例えばベンツやBMW、アウディなどは、

「高級車」というグループで

くくられて

顧客の頭の中に

入っていたりする

 

同じ高価格帯の車でも、

国産車のクラウンや

スカイラインなどは、

これとは微妙に違う

グループに入っているのでは

ないだろうか

 

そのグループに

意識して別の名前

(「国産高級車」など)

をつけているかどうかは別として、

 

顧客はこれらの車を、

ベンツやBMW、アウディの

横並びとしては

通常思い浮かべない。

 

例えばクラウンと

ベンツのCクラスは

だいたい同じ価格

なのにもかかわらず、だ

 

差別化というのは、

正確にはこの参照枠の中で、

参照枠の中の他の商品と

自分の商品の差をつくっていく、

というアクションだ

 

例えば先ほどの

「高級車」グループの中で、

自社の車とベンツとの差を考えたり、

「国産高級車」グループの中で

クラウンとの差を考えたりすることだ

 

差別化を語る前に、

もう1つ重要なステップについて

触れておかなくてはならない

 

一度参照枠を決めたら、

次に必要なアクションは、

その参照枠に入るための

エントリー資格を身につけることだ

 

ベンツやBMW、アウディと

横並びになって

「高級車」のグループに入るには、

例えば独立した、

高級感のあるショールームを

用意する必要がある

 

また、車の内装には

ホテルの調度品のような

素材のクオリティーが求められるし、

一目でそれとわかる

アイコニックな外観デザインも

必要となってくるだろう

 

こうした要素を

「同質化要素」と呼ぶ

 

「差別化」と比べると

知名度は劣るが、

実はこちらが

兄弟で言えば

お兄さん的な存在なのだ

 

日本では2005年に

後発として登場したレクサスは、

まずこうした「同質化要素」を

備えることによって、

顧客の頭の中でベンツやBMW、

アウディと横並びで思い出される

「高級車」ブランドとなった

 

レクサスが誇る静粛性や、

高級旅館さながらの

おもてなしなどといった

「差別化要素」は、

この状態になって

はじめてその真価を発揮する。

 

「顧客の頭の中にある高級車グループ」

 

という土俵に上がれていなければ、

そもそもフォーカスしている顧客に

比較されることがないので、

いくら他の商品との差を考えても

あまり意味がない

ということになってしまう

 

同じことが

キャリアアップおける

自分自身の差別化にも当てはまる

 

例えばマネージャーに昇進したい、

と考えるとき、まず考えるべきは、

幹部が考える

「次のマネージャー候補」

というグループに入ることだ

 

そして、

そのためのエントリー資格となる

「同質化要素」を見つける必要がある

 

それは例えば、

「社内の人脈の広さ」

なのかもしれないし

あるいは

「トラブルを起こさず

周りとコミュニケーションが取れること」

なのかもしれない。

 

目標の達成率に

閾値がある場合も多い

 

まずはそうした

同質化要素を分析したうえで

それをしっかりと備え、

「次のマネージャー候補」

という土俵に上がることが

大事なのだ

 

他のライバル候補との

「差別化」を考えるのは、

その後でいい

 

「最新の経営理論を熟知している」

「コピーライティングが上手」

 

などという

「他の人との違い」を

いくら身につけていたとしても、

「次のマネージャー候補」という土俵に

上がれていないのであれば、

その違いは決して

差別化要素にはならない

 

同じ土俵に上がれていないのであれば、

そもそも比較されることがないので、

たとえ土俵の上の他の人とは

違う何かを持っていたとしても、

それが強みになることはない

 

これは厳しい現実とも取れるが、

見方によっては

救いであるとも言える

 

なぜなら、

同質化要素を備えて

ひとたび土俵に

上がることができれば、

 

その土俵の上で

他のライバルたちとの間に

生み出す必要のある違いは、

必ずしも特別ユニークで

ある必要はないからだ

 

例えば、

最新のデジタルマーケティングの知識と、

部下を管理したことがある

マネージメント能力が、

 

デジタルマーケティングチームの

マネージャー候補の

「エントリー資格」だったとする

 

そのような要素を備えた人が

それほど多くなく、

土俵に上がっているライバルが

数人であれば、

「笑顔が素敵」

「誰とも壁を作らない」

 

などといった

さりげない自分の良さが、

そこでは大きな差別化要素に

なってくるかもしれない

 

誰もが、

他の人とは違ういいところを

持っているものだ

 

そんないいところが、

これまで差別化要素として

活きてこなかったのは、

それそのものに

価値がないわけではなく、

「同質化要素」を備えておらず

競争の土俵に

上がれていなかった

だけなのかもしれない