【著者近影(2018年頃 ライブバーのドラムセット用小部屋にスッポリ収まってビールを飲む著者】
「今年のM-1の予想はどうなりそうですか?」
というお声をいただくようになりました。
毎年の勝手な私の予想を支持して下さる方が意外なところにいらっしゃって、
そうなってくると妙なプレッシャーも勝手に感じてしまいますが、
自分の感覚を信じて、今年も予想していきたいと思います。
ですが、まだM-1は予選1回戦が始まったところ。
正直、本番は2回戦以降です。(前年に準決勝までいった組は1回戦が免除されるので。)
2回戦が始まった頃に、私の予想もボチボチ投下されると思います。
その前にこの連載も完結させなければならないし、先に「キング・オブ・コント」も控えてます。
(「キング・オブ・コント」は準決勝まで進んでます。)
しかもぼやぼやしていたら、仕事も繁忙期に入ってしまいそうなので、
少しペースを上げて更新していきたいと思います。
あと、仕事は仕事でちゃんとやってますのでご心配なく。(笑)
それでは第5回です。
私は大学入学後、大阪の実家から大学まで片道約1時間30分程度かけて通っていました。
結果的に5月頃には通学生活に早くも限界を感じたため、(笑)
高校の頃からの親友(同じ大学に進学)が一人暮らしをする家に、
なかば強引に居候のような感じで毎週月~金は居座るようになりました。
彼も含め、大学のバンド仲間と毎日つるむようになり、
私の学生生活は、ある意味「大学生らしい」楽しい日々になっていきました。
今になって思いますが、私は彼らと過ごす日々に「没頭」する事で、
無意識的に、地元のバンドを解散した事を忘れようとしていたのかもしれません。
大学のバンド仲間とも、この頃はそれなりにバンド活動をしていて、
京都の木屋町あたりのライブハウスやライブバーにちょくちょく出させていただいてました。
彼らとの演奏はいつも楽しかったので、無理なくバンド活動をやれていたのだと思います。
こうして、私は生活の基盤が大阪から京都に移っていきました。
週5で大学。
土日だけ大阪で終日アルバイト。
バイトで稼いだお金は全てバンドと大学生活に使う。
そんな生活を送っていました。
一方、T君は新たにバンドを立ち上げるため新しくギタリストとベーシストを募り、
私達が大学2年生になった頃、そのバンドが始動する事になりました。
顔見せ程度のコピーもほどほどに、すぐにT君のオリジナル曲の制作にとりかかり、
結成から2カ月程度で大阪のライブホールで初のライブが決まりました。
私の実家から近くて、私もツアーバンドのライブを観にちょくちょく行っていたところです。
大学の友人やバンド仲間も誘うと、観に来てくれました。
結成間もないバンドですし、実績もゼロ。
当日はオープニングアクトのようなポジションで、当然トップバッターでした。
T君は新しいバンドの始動に意気揚々、という感じだったのですが、
私は正直、このバンドで上手くやっていけるとは全く思えませんでした。
実力がないから、とか、メンバーの性格が合わないから、とか、そういう事ではなく、
「T君とバンドをやっていく事」に対して、私は将来を感じる事が出来なかったのです。
H君たちとも一緒にやっていた頃がやっぱり一番楽しかった。
その頃の事ばかりが頭に残ってしまい、
そういう気持ちを抱えたままバンド活動をする事、それを拭わなければ先にいけない事に、
前向きな気持ちを持つことが出来ないでいたのです。
私はこの日のライブの内容如何に関わらず、T君に脱退の意志を伝えようと思っていました。
こんな選択をする事になるなら、4人で最後に集まった時に、
T君にもH君にも「このバンドじゃなくなるなら、もう一緒にバンドはやらない」と伝えれば良かった。
後悔の気持ちで一杯でした。
それでもライブにはチケット代を払って観に来てくれているお客さんもいる。
ライブは全力で演奏して自分なりに区切りをつけよう、という気持ちで臨みました。
ライブ自体はバンドとして初めてにも関わらず良いライブが出来ました。
自分勝手な話ですが、私自身はケジメをつけたかのようにスッキリした気持ちになって、
「T君にちゃんと話をしたら、大学での生活をベースにこれからの事を考えよう」ぐらいに思っていました。
そして、あとは他の出演バンドのライブを楽しもうと、
観に来てくれた友人達と談笑していた時の事です。
「京都の某大学(私の通っていた大学)から来ました○○です。今日はよろしくお願いしまーす。」
そう言って演奏し出したバンドの曲に、
いつの間にか私は心を奪われてしまっていました。
こんなバンド、サークルにいたっけ?
私達が早く辞めちゃったから知らなかっただけか?
それにしても歌上手いし、曲良過ぎやろ。。。
私は「Goofy(グーフィー)」と名乗る彼らのライブの後、
熱が冷めやらぬままに楽屋へ直行し、
彼らにライブの感想を熱量たっぷりに伝えながら自己紹介をしました。
私が知らなかったのも当然。
ギターボーカルのS君以外は、
リードギターはS君の実の兄(以下、K君)、
サイドギターは他の大学の学生でS君とK君の共通の友人SK君、
ベースとドラムの方はサポートメンバーだったため、学内で活動をしているわけではなかったのです。
今度はどこでライブやるのか?
今度一緒に飯食べながら色々話聞かせてよ。
その場でまくしたてるように彼らに言った記憶があります。
彼らは個性的でありながら、純粋にバンドを、音楽を楽しんでいるような、
そんな雰囲気を醸し出しており、私が今まで出会った事のないタイプの人達でした。
そういった雰囲気にも強く惹きつけられた覚えがあります。
なんならS君には学内で会う可能性も十分にありましたが、
彼らにまた京都で会う約束をし、その日は解散しました。
そして、この日のS君・K君の兄弟との出会いは、
私の今後のバンド人生に大きな影響を及ぼす事になります。
後日、T君にバンド脱退の意志を伝えようと思っていたところ、
先にT君の方から私に連絡が来ました。
「ギターとベースの2人、バンド辞めたいって言ってきたわ。」
意外でした。
私が言うのもおかしな話ですが、ライブ後にそんな素振りは全く見せていなかったですし、
それなりに気が合いそうな人達だったのですが、
T君もハッキリした理由は聞き出せないまま、脱退の話を渋々承諾したようでした。
私は便乗するような形になってイヤでしたが、自分の気持ちも伝えた上で、
一旦バンドは解散して、お互いに時間を空けて考えよう、と提案しました。
T君もバンドが上手くいかない事に疲れてしまっていたようで、
バンドから離れて、他に好きな事に集中する事を決めたようでした。
数年前に熱意をもって始めた事が、どうしてこんな結末になるのか。
別に誰も悪意があったわけじゃない。
みんな好きなものを「好き」と言い、若さと情熱のままにバンドをやってきただけなのに、
ほんの些細なボタンの掛け違いがきっかけになって、このようになってしまった。
よく言う「音楽性の違いで解散」というのは、こういう事でもあるのか、と。
私はバンド活動を続ける事の難しさを、この時初めて、身をもって味わいました。
そしてこの時を最後に、私とT君がバンドを組む日は二度と来ることはありませんでした。
大学の友人達との親睦はより深まり、
私は大学のバンド仲間との活動もほどほどに楽しみながら学生生活を満喫していましたが、
やっぱりどこか「物足りなさ」のようなものを感じていました。
大学のバンド仲間との活動はあくまで趣味の範囲で、
「目指せデビュー!」とか、そういうテンションではなく、
オリジナル曲を作りもしましたが、コピー曲も同時にやっていましたし、
純粋に楽しいからやっている、という感じでした。
それがダメなわけでは決してなかったのですが、
もう一つ、真剣に音楽や「バンド活動」というものに向き合える環境が欲しかったのです。
今でも常々思っている事ですが、
バンドは「誰とやるか?」が一番大事だと思うのです。
もちろん演奏が上手いに越したことはありませんが、
技術的な事はバンドをやる上では後回しでかまわない、と私は思っています。
「誰が旗振り役なのか?」
「誰がバランサーなのか?」
「誰が縁の下の力持ちなのか?」
ステージの上でも下でも、そういう役割分担みたいなものが自然と出来上がる関係。
それが強制されたものではなく、収まるべくして収まっている関係であり、
仲が良いだけじゃない、お互いの事を認め合える関係。
理想を並べ立てただけのようにも読めますが、
「いいバンド」というのは、得てしてこういう風に出来上がっているものです。
おそらく私は、人生初のバンドが解散になってからずっと、
そういう仲間に出会いたい、そういう環境でバンド活動をしてみたい、
というのを無意識的に求めていたのだと思います。
しかし、そんな気持ちをどこかに抱えている事も、
当時は自覚すらしていませんでした。
ある日、早速S君とK君と一緒にご飯でも食べに行こうと思い連絡したところ、
「ちょうど近くでSK君とご飯食べてるから、よかったら来ないか?」と逆に誘われたのです。
私は着の身着のままで彼らのいる店を訪ねました。
S君とSK君は快く受け入れてくれ、挨拶も早々に私も食事をし始めました。
バンド結成に至る話や、今の状況を聞くと、
どうやらドラマーがなかなか定着せずに困っているようでした。
S君はもともとドラムも叩けたのですが、歌も上手くギターもそれなりに弾けた事から、
ギターボーカルをやる事になったようです。
優秀過ぎますね。
彼らのオリジナル曲は全て兄のK君が作曲し、弟であるS君が作詞をしていました。
私には彼らがあたかも「Oasis」のノエル・ギャラガーとリアム・ギャラガーのように感じられました。
あんな魅力的な曲を自分も演奏してみたい。
なんだったら、自分の方がサポートドラムの人よりもっといいドラムを叩ける自信がある。
そう思った私は彼らに打診しました。
「よかったら俺に、まずはサポートでかまわないからドラム叩かせてくれへんかな?」
S君は「K君もイイって言うと思う」と言い、SK君も快諾してくれました。
そして後日受け取ったオリジナル曲のデモテープを聴きながら、
私は新しいバンドが始まる予感を感じずにはいられなかったのです。
【大学楽園編・急に続く】