能登の祭りはイベントじゃない
— 国分 紀芳(北陸経済ニュース配信・Seeds合同会社の代表) (@kunikiyo) 2024年1月23日
私の親族はみんな能登出身だが、アイデンティティーを極めて狭い「地元」と結び付け、それを再確認する舞台が神事としての祭り
地域の人々の営みの1つであり、本来、外野から「やってほしい」「自粛すべき」と口出しする類のものではない。その判断を静かに見守るのみ
お祭りの多くは神事である。
少なからず観光資源にしている地域やお祭りも多いために勘違いしがちだが、れっきとした宗教行事である。
これをディズニーランドのエレクトリカルパレードと同様に考えてはいけない。
地域で大切にしてきたお祭りをいかに残していくかは、能登に限らず悩ましいことでもあろう。
はだか祭りに女性も参加させろ!なんて主張する団体も出て来て、そりゃーもう大騒ぎだ
そのうち、東大寺のお水取りの女人結界にも入れろとか騒ぐのかなあ
さて、今日はマレーシアではタイプーサムというインドのお祭りだった。
私は数年前から化学物質過敏症を発症してしまい、インド系のお香で具合が悪くなるので見学に行けないのだが、今年初体験の友人から、pagiさんから時間等聞いておいて良かったです💓と、報告とともに動画が送られてきた。
動画を見て、なんか変だと感じた。
いや、異教徒の私が口出しすべきことではないのだが、数年前に私が見たものとは何かが違う
タイプーサムとは、40日間、硬い床の上に寝る、食事を制限するなど厳しく自らを律し、禁欲的な生活を送る行を経て自己探求をした聖者の行進である。
それゆえに、友人知人等の支援者も彼らに敬意を表するのだと思う。
これらの苦行の結果、針を刺しても痛みを感じなかったり、人によっては意識が自己から離れたトランス状態になったりする。
私が何度か見学をした際にも、トランス状態に陥った常連さん(3年同じ人を見た)がいたが、それ以外の多くの人たちは皆、静かに、あるいはちょっと誇らしげに、寺院を詣でていた。
なのでドンガラドンガラ賑やかな楽団の演奏にも関わらず、そこには静謐な空気があった。
が、友人から送られてきた動画を見るとトランス状態になることが目的というか、トランス状態になることを期待されている、トランス状態の自分を見てもらいたいという自意識丸出しな偽聖者(本当、異教徒が失礼を申しますが)な感じが滲み出るおっちゃんたちばかりで
だいたい40日間の禁欲的な生活をしていてそのビールっ腹はないだろうみたいな
本当に最低限の菜食にしてた⁈
自己顕示欲とは対極がタイプーサムのはずなのだが……。
まあ、私が行った年にも勘違い野郎な海賊みたいなのがいたからね
それにしても、JBの、観光客なんてろくすっぽいやしないタイプーサムですらこれかあ、と少々残念な気持ちになる。
まあ、10年一昔と言うしね。
私がみた一昔前のタイプーサムと比較して、異教徒がシノゴの言うなって話ではあるし、ヒンドゥのみなさんがそれで良ければ良いのだけれど。
数年前の、あの海賊風偽聖者を見て激怒していたインド系マレーシア人の友人にちょっと話を聞いてみたい気がする。