先日、アメブロからこんなメッセージが
おー
3500件と言われれば、そうか、マレーシアに来てから10年、多少の凹凸はありながらも均せばほぼ1日1件のブログを書いたということで。
どうでもいいことをよく書き散らしたな、私
実は私は夏休みの宿題の絵日記とかとっても苦手だった。
なのに誰に強制されるでもなくこんなに書き続けることができたって…… なんてことを思ったり。
どんだけマレーシアって文句言いたくなることが多いんだかーーー
まあ、小学生の時って、こんなご飯を食べました、とか家のご飯ネタに絵日記書くとか思いつかなかったしね(思いついて書いてる子、いたかなあ?見た記憶はない)。変な近隣住民もいなかったしね
そもそもなんかスペシャルなことがないと書くことがないと思い込んでいて、頭抱えたよなあ
そう思うと、夏休みの日記を宿題にするなら、もっとどういうところから日記のネタを見つけるかとか、今日こんな本を読んだ、こんなテレビを見た、とかって感想でもいいんだよ、とネタを見つけるためのヒントを子供達に与えるべきだったんじゃないだろうか。
日記を書くことより、何かに注目してネタを見つける技術の方が重要な気がする
観察日記だって朝顔の観察じゃなくたって、お母さんの観察とか近所のパン屋にくるお客さんの観察だって良かったんじゃないだろうか(絶対そっちの方が面白かったはず)
まあね、そんなわけで夏休みの宿題の絵日記や天気の記録をつけさせるとか(これも夏休みの最終日に半べそかきながら新聞のお天気欄書き写した小学生の私)、型にはめるための宿題やつまらないことを毎日コツコツ継続させるようなくだらない宿題なんてやらんでいいと思うの。
みんな会社員になれば多かれ少なかれ、つまらんこともコツコツやらされるわけだけれど、そこには報酬があるからね。それは我慢すべきところであり。
報酬もなしでそういうの真面目にやったところで、やってない人とそんなに差がある立派な大人になんてなってない気もするし
まあ、くだらないブログを10年書き続けるくらいのことはできるようになるから、大人になれば
ただね、本だけは読んだ方がいい。
老眼になる前にいっぱい読んどけーーー!と声を大にして言いたい
老眼になると本、読む気しなくなるからねー(漫画は読んでるくせに)
終活の一環で、本棚の整理をしたいのだけれど、本帰国した友人が置いていってくれた本も含めて「積ん読」になっている本、読んだら寄付しようと思っているのに一向に読めないでいる
もう読むの諦めて処分すべき⁈
結局のところ、宿題も終活もどっちも苦手な私です