結果として、ハナは自分が一番行きたかった私立B校へと進学しました。そこでの生活は、彼女にとって驚くほど輝かしいものになりました。素晴らしい担任の先生との出会いや、気の合う友達の存在。毎日楽しそうに学校へ向かう彼女の姿は、どん底にいた私にとって唯一の救いでした。
ただ、一つだけずっと不思議に思っていたことがありました。なぜ、点数も十分に取れていたはずの公立高校が、二校とも不合格だったのか。その答えは、ハナが高校の担任の先生に打ち明けたある「告白」から明らかになります。
「実は入試の面接のとき、準備していなかった質問をされてパニックになっちゃって……。体感では5分くらい、何も話せなくなったの」
この言葉をきっかけに、先生は彼女が抱えていた生きづらさの正体——「特性」の可能性に気づいてくれました。先生はとても丁寧にハナに寄り添い、病院の紹介も含め、彼女の未来が広がるような形で私にも相談してくれました。あの不合格は、彼女が自分らしく生きるための道筋を見つけるために必要な、大切なステップだったのだと、今は確信しています。
しかし、一歩家の中に入れば、そこにはまだ「カオス」が居座っていました。
彼がある日を境に始めたのは、私に対する徹底的な無視でした。それは子供たちの前であっても変わりません。ハナや珠凪が彼に何かを尋ねれば、ボソボソと答えることはあるけれど、私が何かを言っても、彼はまるで見えていない、聞こえていないかのように振る舞うのです。
家には珠凪と彼が二人きりになる時間もありました。彼は早く帰宅していても、自分の分だけ食事を持ってさっさと自室に籠もる。珠凪が「ねえ」と話しかければ反応はするものの、私という存在を介した会話は一切拒絶される。子供たちの目に、この歪な夫婦の姿はどう映っていたのでしょうか。
そんな地獄のような空気の中でも、珠凪はいつも通り明るく元気に振る舞っていました。でも、その明るさの裏側で、彼女の中に少しずつ「トゲ」のようなものが混じり始めます。さっきまで笑っていたかと思うと、些細なことで衝動的に激しく怒り出し、感情を爆発させることが増えてきたのです。今思えば、あの時の珠凪の「揺れ」もまた、家庭の崩壊に対する悲鳴であり、彼女自身の特性の萌芽だったのかもしれません。
ハナも彼の変化には敏感でした。「先生たちは9時には学校を閉めるって言ってるよ。なのにお父さんはなんで毎日11時過ぎなの?」 知的な数学教師という顔を持ち、プライドの塊のような彼が、娘にすぐ見破られるような嘘をついてまで、夜な夜などこへ行っていたのか。
今振り返ると、彼が私への無視を強めたのには理由があったのだと思います。「受ければいい」と豪語した公立受験が失敗に終わったこと。自分の正しさが否定されたという屈辱と向き合えない彼は、私を無視することで、必死に自分のプライドを守ろうとしていたのでしょう。
娘たちは父親との距離がわからなくなり、そしておそらく、彼自身も家族との距離の取り方がわからなくなっていたのだと思います。彼が持っている「特性」のせいだと気づくのは、まだずっと先の話。
真っ暗な霧の中に放り出されたような日々。そんな中、彼の口から出たのは、家族を修復する言葉ではなく、「離婚したい」というあまりにも身勝手な一言だったのです。
